オタク構文で喋るオタクは自分の言葉に自信がないのではないか
目次
オタク構文が嫌い
ほとんどの人は「自分の言葉」で喋ってない
どこから引用してくるか
一種のセルフハンディキャッピング?
感想
オタク構文で喋るオタクは、自分に自信がない?
とりわけ「自分の言葉に自信がない」のではないか? と思ったのでまとめてみます。
(どうやら過去に似たような記事を書いていたようなので、今回の記事はその最新版と言うことで)
オタク構文が嫌い
Twitterを見回すと、本当にうんざりするくらい同じ言い回しで喋る人間が大量にいます。
ぽきた構文、クソデカ主語、あとはチーズ牛丼の下りとか、そういうミームが溢れています。
僕は正直そういうのにウンザリしてるので、みてるだけでキツくなってきます。
しかし、そういうのを好き好んで使う人がいるという事実から
「この人たちはやってて平気なのかな? 見ててキツくないのかな?」
と思い、真剣に考えてみることにしました。
その結果、自分の中で出た結論は「この人たちは自分の言葉に自信を持っていない」でした。
ほとんどの人は「自分の言葉」で喋ってない
「死ねよクソ無能!」と日常的に言われることはあっても
「キミってすごいね! キミがいてくれてよかったよ!」と言われることは決してない世の中。
そんな世界に生きてれば誰だって自信喪失しますよ。
散々否定され続けてきたせいで完全に自信をなくし、「こんな言葉づかいだと誰かにまたダメ出しされるんじゃないか」という不安を抱えた結果、オタク構文で武装するという結論に至ったのではないでしょうか。
(周りがみんな使ってるから使ってるというのも理由として考えられますが、そういうありきたりなのは全部除外した上で一番面白い結論を採用しています。ご理解ご協力いただければ幸いです)
なんでだよ、自信を持てよ、と言ってしまいそうになりますが、実は僕も人のことは言えません。
なぜなら、僕自身も「自分の言葉では喋っていない」からです。
僕の口から出る言葉は何かの本で読んだ言葉か、どこかで読んだ文章だけです。
オタク構文っていうのもTwitterで見た言葉ですし、僕の言葉じゃないっていうのもUVERworldで聞いた単語です。
普段ブログに書いている心理学系のことも本に書いてあったことですし。
何かに対する感想とか、考え方とか、そういったものは自分のオリジナルであるつもり(おそらくこれも誰かの影響を受けているんでしょうが)ですが、
それを表現するための言語は、どこかで見たものでしかありません。
(※例外もあります。例えば淫夢動画などのインターネットコンテンツでは、”規定のフォーマットに乗っ取った上でいかにオリジナリティを出すか?”という一種の競技性を孕むものもあります。こう言ったものは敢えてやっているという前提が乗っかるので、自分の中ではセーフ判定です。たとえるならば、ごっこ遊びのようなものかと)
どこから引用してくるか
そうなってくると、自分が使う言葉は「自分が普段目にしている文体からの引用」が主になると考えられます。
某掲示板を見てる人はそういう口調になり、Twitterを見てる人はそういう口調になり、
本を読む人はそういう口調になる、と。
(もちろんジャンル分けした後にも界隈による差というのもありますので、細かく区切っていけばもっと多くの境界線が分かるとは思いますが、そこまで追っかけるともはや研究論文の域に入るので勘弁してください)
一種のセルフハンディキャッピング?
しかし、「なぜわざわざよりにもよってオタク構文を使用言語に選んでしまうのかな?」というのも分かりません。
個人的な考えとしては、一種のセルフハンディキャッピングなのではないかなと思っています。
セルフハンディキャッピングとは、一言で言って仕舞えば「言い訳」のことです。
よく言われるのは、テスト勉強しようと思っていたのに部屋の掃除を始めちゃうこと。
「テストで点が悪かったのは勉強せずに掃除を始めたからだ」という言い訳(ハンディキャップ)を用意することで、実際に低い点をとっても「しょうがないよね!」と流せるようになる……という無意識の行動です。
オタク構文をあえて使うことによって、自分の言葉遣いが否定されたとしても「でもこれ考えたの俺じゃね〜し〜」と受け流せるのではないでしょうか。
感想
これが絶対に正しいという気は全くありません。
ただ頭に浮かんだ事をパッと書いてみた次第です。
僕はイラッとしたものに対して分析をかけて、ある程度理解できるとムカつかなくなる場合があります。
なのでオタク構文について分析をかければ、ムカつかなくて済むかなと思ってやってみました。
僕自身はオタク構文が嫌いなので積極的に見たくはないし使いたくもないと思っていますが、他人が使う分には別に構いません。
あなたがもしオタク系の構文を日常的に使っているなら、一度「自分はなぜこの言葉を使っているのだろう?」と考えてみるのも面白いかもしれません。