【プリパラ】南みれぃの二面性について

【プリパラ】南みれぃの二面性について


こんにちは。

あなたには人に見せていない面がありますか?

多分あると思うのですが、今回はそれについての内容です。


目次

  • 南みれぃについて
  • “みれぃ”について
  • 二面性
  • そもそも本当なんてない
  • ペルソナとしてのみれぃ
  • みれぃに当てはめて考える
  • まとめ
  • 最後に

南みれぃについて


南みれぃはパプリカ学園中等部で生徒会長を務め、メガネが似合う典型的委員長キャラです。

結構堅物チックな面があり、融通の利かない面もあります。


しかし、その一方で相手を思いやる心や、面倒見がよく、相手をよく観察しているという面も持ち合わせています。

“みれぃ”について


現実では典型的な委員長キャラな南みれぃですが、プリパラにゲートインすると一気に反転します。


物事をよく観察し、冷静に分析する姿勢は変わりませんが、派手な見た目とポップな喋り方はおよそ現実世界のみれぃとは同一人物とは思えません。

二面性


一応このアイドルみれぃというキャラクターは、南みれぃが「演じている」と語っていました。


しかし、ここでひとつ疑問が浮かびます。

結局のところ、クールとポップ、一体どちらが本当のみれぃなのでしょうか。


その一応の答えが第32話「ぷりのままで」にて示されました。

それは「クールな生徒会長も、ポップなアイドルもどちらもみれぃである」というもの。


どちらも本当のみれぃなのだから、本物もなにもない。というのが答えということになりますが、なんとなく釈然としません。


「アイドルとしてのみれぃは、人気を得るためにやっている演技だ」と語っていたのだから、現実世界のみれぃが本物では?


という考え方も、


真面目な優等生として生活している中で、抑圧された気持ちが大きくなりすぎて「アイドルみれぃ」という形を持って表に出てきたのでは?


という考え方もできますし、それ以外にも色々と疑念はつきません。

そもそも本当なんてない


みれぃがどうかは結局のところ制作スタッフの方々がどう考えるかによりますが、人間の精神面について普遍的に言われていることを考慮すると、少しだけ真相にたどり着ける気がします。


心理学の世界でも様々な考え方がありますが、僕が支持しているのは「本当の自分は存在しない」という考え方です。

ペルソナとしてのみれぃ


「本当の自分は存在しない」という考え方をする上で便利な考え方が古代ギリシア神話で使われたペルソナという概念です。


女神転生シリーズのスピンオフとして人気を博しているゲームで同じ名前のタイトルがありますが、アレも元ネタは同じです。


どういうものかというと、まずギリシア神話ストーリーテラーが語る形式で進んでいく劇です。


ストーリーテラーはキャラクターを演じ分けるために声色を変え、さらに「役柄ごとに仮面を付け替えていました」。

この仮面がペルソナ(persona)です。


このペルソナと、人の人格というものをリンクさせて考えるとなんとなく全体像が見えてきます。


例えば、村に住む女性の役を演じるために、声を柔らかにし、優しい顔の仮面を付けたとしましょう。


そうすると、観客からはストーリーテラーが「村に住む女性」という姿に見えるわけです。


しかし、ストーリーテラーの方から見ると違います。

ストーリーテラーはあくまでもストーリーテラーであって、「村に住む女性ではない」です。

そもそも仮面を付け替えた程度で別人になれるなんてことはありません。


ここに、劇を作品として「そのストーリーに感情移入して眺める」か、創作物として「作者側の目線から見つめるか」の違いが生まれてきます。

(ちなみに、このように物事をひとつ上の次元から見下ろして捉える能力のことをメタ認知と言います)


これを人の性格に当てはめると以下のようになります。


からしっかりしている人だと思われたいので、物事に対して真面目に取り組む場合


相手の視点:

「あの人はいつも一生懸命ですごいな」

「きっととても真面目な人なんだろうな」

「面倒くさいとか思わないんだろうな」


自分の視点:

「辛いけど、みんなに自分を真面目だと思ってもらうにはこうするしかない」

「これでみんなは自分を真面目だと思っているだろうか?」

「面倒だけどやるしかない」


周りの人からすれば、あの人は真面目、というのが正当な評価になります。

しかし、本人からすれば、真面目な姿を演出するためにやっているだけなので「真面目な人だと思われたい」のは事実ですが、実際に真面目というわけではない状態になります。


つまり、この人の場合、周りの人からどう見られたいか?という考えがあるだけで、本当の自分も何もない、というのが結論になります。

みれぃに当てはめて考える


みれぃは両親が検事と弁護士というわりかし堅めの職についているので、2人の影響を強く受けたことが伺えます。


その2人の期待に応えようとして、自分も2人に近い人格を形成しようと試みたのではないでしょうか。


やがて踏み始めた道が険しく思え、だんだんと心の奥底に抑圧していた気持ちが反発して、2人の期待に応える以外にも、女の子たちの期待に応えるという道を見出し、同時並行で歩むことで自分の精神を保とうとした。


そして、優秀で真面目な人間であると同時に、可愛らしいアイドルとしての姿も見せることを決めた。


しかし、ここまでに行ってきた選択はすべて他人からの目線で選んだものです。

強烈な正反対のキャラクターを持つみれぃの実際は、無色透明、何色でもない「まさにプリズムのような心」の持ち主とも考えられるかもしれません。


というのは僕の勝手な個人的な考えなのでまだまだ浅いですが

まとめ

  • 本当の自分なんてない
  • 人は“役柄”で仮面を付け替える


以前書いたピグマリオン効果にも通ずるところですが、人は結局のところ「他人に期待されている姿になろうとする」性質があります。


自分が何か行動をしようと思った時、

それは何のためにやるのか?

誰かの意思は関係していないか?

他の出来事が関係していないか?

と自分に問いかけてみると、自分が何の影響を受けているのか判断できるようになります。


そうすると、これから持ち得る願望とかもある程度わかるようになりますね。

最後に


たまに「“本当の自分”を見つける」と言って旅に出たりする人がいます。


たしかに、旅に出ると自分の知らない物事を見ることになるので、自分の思考の幅が広がって、人生を変える劇的な考え方を思いつけるかもしれません。


大部分の人はそういうものに出会えないまま旅が終わり、その度で得た知識や考えを少しずつ生活に取り入れて行って、ゆっくりと人生を変えていきます。


そういう意味で旅は有意義なものなのですが、それは旅で出会った知識や経験の影響を強く受けているので、正直な話「“本当の自分”なんて全然見つかってない」です。


本当の自分を見つけたいなら、旅に出るよりももっと簡単で、かつ、たしかな方法があります。


それは、自分が普段からよく会う人、よく話す人、よく話を聞いたり、読んだりする人をリストアップしていくことです。


これをすることによって、自分がなんの影響を受けて出来上がっているのかを理解できるので、“本当の自分”というのは見つかると思います。


本当の自分というのは上気した通り、存在しません。


しかし、“本当の自分”というのは、自分にとって根幹にある願望を探ってみれば案外パッと出てくるかもしれません。