進撃の巨人 最終巻の感想【ネタバレあり】
前回の続き
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34巻まで読んだ方は、目次までかっ飛ばしてください。
まだの方は注意書きをご覧ください。
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▶︎注意書き
ネタバレします。
諌山先生もご自身のブログでおっしゃられていましたが、「作品を初見で見るのは人生で一度しかできません」。
ここでネタバレを見てしまえば、あなたは2度と事前知識なしで進撃の巨人を見ることはできないのです。
進撃の巨人はとても巧妙なシナリオですが、ここでネタバレを喰らえばその味わいは大きく損なわれます。
まだ最終巻まで読んでいないなら、すぐにこのページを閉じて、最終巻まで読むことをお勧めします。
そして読み終えたら、またこのブログに戻ってきてくれると嬉しいです。
一緒に進撃のラストを語り合いましょう。
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なお、本記事にはオタクのうっとうしい感想が満載ですので、
そういうのが苦手な方は読まない方が良いかもしれません。
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▶︎目次
- ▶︎ゼロ年代の総決算!
- ▶︎気になった箇所をピックアップして語る
- ▶︎ハルキゲニアか!
- ▶︎人口問題、資本主義、幸福論……
- ▶︎人間は根源的に繋がりを求める存在である
- ▶︎ジャン……コニー
- ▶︎クライマックス前の妄想シーンは神回の法則
- ▶︎ 好きになる要素があるのか?
- ▶︎ユミルを自由にするために奴隷になったエレン
- ▶︎進撃のマブラヴ
- ▶︎主人公の変顔
- ▶︎ジャンミカか……
- ▶︎ラストの展開
- ▶︎分からなかったこと
- ▶︎おまけページで救済
- ▶︎最後に
▶︎ゼロ年代の総決算!
ゼロレクイエムによって加害者をすり替えるコードギアスと、
魔女が生まれる前に消し去ったまどマギ、
それと鳥=エレン?と匂わせる部分がAIRを想起させました。
(あと「あなたの人生の物語」も少し入ってるけど)
AIR(原作版)は2000年、
コードギアスは2007年、
まどマギは2011年(アニメ版進撃と同時期)。
2000年から2011年までのラストをミックスしたような終わり方で、まさしく「ゼロ年代の総決算」だったと感じました。
そう考えると、「2000年後の君へ」というサブタイトルもユミルからエレンへエレンから次の継承者へ(これについては後述)という意味もありながら
「2000年(=ゼロ年代)後の君へ」という意味合いのようにも取れます。
さよならゼロ年代。みたいな。
めちゃくちゃこじつけですが。
シンエヴァを見て「成仏できた」と語る人が多々見受けられましたが、僕も似たような気持ちです。
ゼロ年代キッズですからね。
エアコンつけずに過ごせた夏が恋しい!!!!!!!
▶︎気になった箇所をピックアップして語る
ここからは気になったシーンをピックアップしてちょっとずつ語っていきます。
▶︎ハルキゲニアか!
エレン始祖巨人の形がどうにも奇怪で、
「なんなんだろうなこれ」と思ってたのですが……
137話でハルキゲニアだったと判明。
なるほどなぁって感じです。
言われてみると確かに似てますね。
ハルキゲニアといえば、
当初は「こっちが足だな。でこっちが背中だ」と思われてたのが
「……アレ!? 逆だ! 背中だと思ってたのが足だ!」
となり、標本が逆さまになるというエキセントリックなエピソードが有名です。
「ひっくり返る」という点において、進撃の巨人にここまでふさわしいモチーフはないなと感じます。
▶︎人口問題、資本主義、幸福論……
ジークが語っているのは3つの要素を内包したロジックに見えます。
まず、生物の目的は「生きる」ことと「増える」こと。
それによって人類は増えすぎたという人口問題。
さらに、増えるのは人口だけではない。
人口が増えれば、それだけ消費も増える。
商品が売れれば企業は儲かり、そうすれば社員の給料が上がる。
給料が上がればさらに商品が売れ……このループこそが資本主義社会。
勝った者だけが生き残り、今度は生き残った者たちだけのレースが始まる。
それを繰り返して本当に幸せなのか? という幸福論に関する問題提起。
なんというか、凄まじいです。
嫉妬します。
実は僕も陰でコソコソ創作をしているので、ここまで手広く語れてしまう諌山先生に嫉妬してしまいます。
▶︎人間は根源的に繋がりを求める存在である
道によって巨人化能力継承者がつながったのは、ユミルが繋がりを求めていたからだと語られました。
神に等しい存在になったとしても、人は人との繋がりを求める、という思想にはとても共感できます。
僕自身も大学で孤独に関する文献を読み漁っていましたが、孤独ってホントにデメリットが大きいんですよね。
とある研究では「タバコと孤独どっちがマシか?」という問いに「実はタバコの方が孤独よりマシ」という結果が出ていました。
タバコは1本吸うごとに寿命が5分縮まると聞いたことがありますが、それを凌ぐレベルの健康被害を叩き出すのが孤独。
いくら始祖ユミルといえども,孤独には抗えないのでしょう。
(ただ納得できない部分はあります。
生死から解放された世界にたどり着いたのなら、生存本能が働かないはずなので、繋がりを求めるのかな……?というのは思いました。
まぁこれは実際になってみるまでは分かりませんね。不老不死に)
▶︎ジャン……コニー
「あんまりだぁぁぁぁぁ!!!」ってなりました。
ここまでやるのか〜という衝撃。
まぁ後で戻りましたが、多分これがあったからこそ、ラストの巨人の力を消し去るという部分にカタルシスが生じたのでしょうね……。
▶︎クライマックス前の妄想シーンは神回の法則
すみません。
そんな法則あるかは知りません。
が、以前見た「Phantom Requiem for the inferno 」というアニメでも似た展開がありまして……
殺し合いしてた男女が、何故か次のシーンでは一緒に車に乗ってて、運転席の女が助手席の男に
「もしあの時、戦うのをやめてたら……私たちこんな風になれたのかな?」
と語るとパッと現実に戻るみたいな演出でした。
僕はこういうifの展開を見せる演出がめちゃくちゃ好きなので、とても気持ちよかったです。
特に僕はエレミカのカプが好きなので非常に美味しくいただいたのですが……。
まぁこれについては後の項目でしゃべります……
▶︎ 好きになる要素があるのか?
ここまでベタ褒めでしたが、これは
「それだけはやめて欲しかった……」という展開です。
ユミルが壁の王に支えていた理由は、なんとユミルがフリッツ王を愛していたからだと判明。
ユミル、なんでフリッツ王が好きなんすかね……?
正直、「まさかな……」とは思いつつも
「いや、そんなわけないだろ」と思って否定したのですが……。
あぁ〜そうなりますか〜……と。
心理学の分野において、女性には自分のパートナーを選ぶ基準があるとされています。
若いうちは「悪いヤツ」。
元気が良くてケンカが強ければ、生き残る確率が高くなりますからね。
年齢を重ねると「子育てに参加してくれる人」を求めるようになります。
これは「世の中ってそんなに戦う機会ないな」ということに気づき、理性的な判断をするようになるからでしょう。
(※ここで語っているのはあくまでも一例です。当然他の理由もあります)
つまりは「中学まではヤンキーがモテて、社会人になるとちゃんと定職についてる人がモテるアレ」です。
ユミルの年齢は、おそらく10代前半。
ということは、悪いヤツが好きなお年頃だから、フリッツ王を愛していたのでしょうか?
あるいは、自分は巨人化能力を持つ特別な存在であるという自負から自己肯定感が上昇。
「特別な自分に釣り合うのは、王様くらいのもんだろう」という思考になったのかもしれません。
確かなことなんてユミルにしかわかりません。
が、客観的に見れば、なぜあんな男を……と思わざるを得ません。
まず横暴でふんぞり返てますし、人格者とはとても言えません。
30巻では巨人化能力を獲得したユミルに対して「我が奴隷ユミルよ。お前はよく働いた。川に橋をかけ、敵を倒した。
褒美だ。我の子種をくれてやる」とか言ってました。
いや、いらん。
誰がおっさんのザーメン欲しいねん。
しかもハーレム作ってウハウハしてますし(まぁ王の特権だからしょうがないですが)。
ユミルの最期にかけた言葉も「起きて働け」ですし。
う〜ん……。
なぜ好きになったんだマジで。
わからん……。ユミルってマゾ?
しかし、彼女がフリッツ王を愛し、長らく仕えたおかげで巨人の能力が受け継がれました。
それで進撃の巨人の物語がスタートしたわけなので、まぁ結果オーライなのでしょうか。
▶︎ユミルを自由にするために奴隷になったエレン
そんなわけで愛の呪縛から逃れたくて苦しんでたユミルを見かねて、エレンは手を貸したわけですが……
やったことと言えば、見せられた記憶を再現するために、ユミルの駒として動いたに過ぎない。
誰よりも自由を求めたエレンが奴隷に成り果てたというのが、なかなかの皮肉でしたね。
▶︎進撃のマブラヴ
ユミルとミカサが純夏であり、タケルでもあったということでしょうね。
ミカサは自分に重大な選択を背負わされているという自覚はなかったでしょうし、ユミルとも特に面識はなかったでしょうから(姿は見たことあるけど)、救う相手と救われる相手の対面が全て終わった後というのはトリッキーだなと感じました。
そしてアルミン……。
ヒロインはアルミンだった……。
▶︎主人公の変顔
アルミンに殴られて、エレンの変な顔が映ります。
最高ですねぇ……このコマはぁ……(ねっとり)
個人的な見解ですが、男性作家と女性作家の違いは「ちゃんとイケメンにも変顔をさせるかどうか」だと思います。
僕が見た限りの女性作家作品は、
「〇〇かよ……!」(目を閉じて口元を押さえる)
みたいなシーンがとても多く感じました。
「これはどういう意味なのかな?」と考えていましたが、僕は「イケメンの変顔を見たくないからではないか?」と考えるようになりました。
イケメンにはつい入れ込んでしまいますし、
イケメンにはずっとイケメンであって欲しいと思うのが人情。
(事実、イケメンはいい人に見える、という心理効果もあります)
であるならば、イケメンの顔を少しでも歪めるのはタブー中のタブーなのではないでしょうか。
しかし、男性作家にはそういった傾向は見られず、イケメンだろうがなんだろうが変顔できる時は変顔させます。
理由は単純で「面白ければそれでいいから」でしょう。
この辺りの性差については非常に面白いというか興味深いので、いつか考察してみたいところです。
(ちなみにですが,僕は主人公やイケメンキャラが変顔する作品は大好きです。
「臭いものに蓋をしない」感覚や、
「見た目が綺麗なものだけがキレイか?」という問いかけのような気がして、現実に向き合う勇気が湧いてくるので)
▶︎ジャンミカか……
ラストの木に花を備えるシーンですが……
これ多分ジャンとミカサですよね。
あの見開きは母としてのミカサ、祖母としてのミカサ、そして故人としてのミカサという順番で並んでいると考えられるので、
あの夫婦はミカサ夫婦であると考えられます。
髪型や服装も同じですし。
そして夫のあの髪型にあの髪色。
ジャンでしょうね。
根拠はあります。
ジャンがハンジに出てこいと説得されるシーンで
「ここで何も聞こえないフリをすれば、セントラルの一頭地に住める。
朝から酒をかっくらってやる。誰にも文句は言わせねえ」
みたいなことを内声で語っていましたが、
その時の妻の髪色が黒く、どことなくミカサの面影があるんですよね。
このシーンを初めて見た時、「ジャンミカになるのか……?」と少しだけ頭をよぎりました。
でも本当になるとは思ってなかったので(というか本当にアレがジャンなのかは分からないですが)、「そっかぁ……」とため息混じりにつぶやきました。
僕は前述した通り、エレミカ派です。
が、個人的にエレンとミカサは「くっつきそうでくっつかないんだろうな」と思っていました。
それは物語序盤から一貫して、「ミカサが明らかに恋愛対象として描かれていなかった」からです。
というか、そもそも進撃の巨人には恋愛要素が極力排除されていました。
出てきてもライナーがクリスタに向ける眼差しであったり、ハンナとフランツの惚気っぷりだったりと、どこかギャグ的に扱われることが多かったです。
この理由は多分、「諌山先生自身が恋愛に対して良い思いを抱いていなかったからなんじゃないか?」と感じています。
インタビューでも先生は、自分は非リア側の人間だったと語っています。
ということは、スクールカースト内でも下位グループに所属していたと考えられます。
当然恋愛経験などなく、むしろ恋愛に対してコンプレックスを抱えていたはずです。
それゆえに、作品内での恋愛はどこか茶化したような描き方をされていたのではないでしょうか?
それが大きく変わったのは、23巻以降だと感じています。
(もちろん一気に変わったのではなく、徐々に変化していって、その変化が目に見えるほどの差になったのがその辺りということ)
親子愛とか家族愛、親愛、恋慕……そういったモノが絡む描写が多々見受けられるようになりました。
この変化は、諌山先生が結婚されたからではないかと考えています。
先生が結婚を発表したのは2018年12月。
23巻の発売が2017年8月。
先生がどれくらいの期間交際して結婚に至ったのかはわかりませんが、
ひょっとしたらそれらの経験が漫画のあり方に変化をもたらしたのかもしれません。
まぁなんにせよ、エレミカは成立しないだろうなという予想は当たりました。
悲しくはありますが、でもそれでいいと思います。
エレミカは幻想であり、公式ではないからこそ、欲求不満のファンが二次創作を作り、我々はそれを享受することができるのですから。
▶︎ラストの展開
諌山先生はインタビューで
「もっと無責任なラストを考えていました。でも、ここまで読んでくれる人が多くなると、さすがにそれはマズイだろうと思うようになりました」
みたいなことを言ってました。
最終回を読んだ上でこのインタビューを読むとああ〜とどこか納得します。
ここを変えたんだろうな、みたいなポイントはいくつか見受けられます。
たとえば、最後はエルディア人が全員巨人化して、地鳴らし達成エンドとか。
あとは、和平交渉のところとか。
あれアルミン絶対殺されますよね。
イェーガー派の残党は「エレンの幼馴染だったのにエレンを裏切って殺した」とか思ってそうですし。
で、多分和平が結ばれて記念式典を開催。
演説をアルミンが行うことになるが、その最中にアルミンが凶弾に倒れ、連合国とパラディ島の戦争開幕……
みたいな筋書きだろうなと思うんですが、その辺は何も描いてませんし。
(ミカサらしき人物が葬られるシーンの後に戦争が始まってるので、多分50年とかは平和だったのでしょうね……)
あとヒッチとアニも対立するでしょうし、
シャーディス教官が命懸けで逃した新兵たちがあんなことになっちゃうってのも皮肉ですし。
(それを白けた目で見る記者、リーブス、ブラウス一家で少し安心しました。「ああ……コイツらはまだまともだ」と)
なんか、ほんとはもっとエグかったんだろうなと感じます。
それこそ、手塚治虫の短編にありそうな
「争いは終わらない……救いも特にない……」みたいな暗い終わり方を予定していたのかなと。
▶︎分からなかったこと
偉そうに語ってますが……分からなかったこともあります。
それは、ミカサとユミルのやりとり。
「あなたに生み出された命があるから私がいる」
というセリフ。
このシーンの時、回想なのか何らかのイメージなのかは分かりませんが、槍に貫かれたフリッツ王が写っています。
つまり、30巻の「2000年前の君から」でフリッツ王を庇わなかった場合の光景ということでしょう。
自分の解釈としては、
王家が絶たれたから、始祖の力は止まり、巨人の力も失われた(=ユミルが奴隷ではなくなった)。
一応、王家の血を引くものとしてヒストリアがいるが、ヒストリアは始祖の巨人を宿していないので力の後継者ではない。
なので、2人の王(王の血筋のジークと王の力を行使するエレン)が討たれた段階で、ユミルが解放された。
ユミルが不死から解放されたので、ようやく眠りについた。
それにより、フリッツ王の語った「我が世」が終わった。
……というのを一枚絵で見せる為に、あのシーンを挟んだのかな? とは思うのですが……。
「あなたが生み出した命があるから私がいる」
というのがよく分からない……。
ミカサはアッカーマン一族と東洋の一族の末裔なので、血筋的にユミルは絡んでないような……?
いや、でもそう考えると何故頭の中を覗けた?
血のつながりがあるからこそ、そういう干渉ができたのでは……?
すみません、よく分かりません。
まぁ、このブログは進撃の巨人ガチ考察サイトではないので、この辺で……
▶︎おまけページで救済
おおおおい!!!!
まさかおまけページに繋がるとは……。
いやはや素敵な終わり方ですよね。
僕はてっきり「作者の後書きかな〜?」とか思ってたので「!?」ってなりました。
まさか進撃の巨人が劇中劇だったとは……。
「ギャグ次元は本当にある世界だったんだ! 良かった〜平和で……」と安心させつつ、
作者としての遺恨をアルミンに語らせ、それに対するセルフツッコミをミカサに言わせる。
ほんとに巧みで感動しました。
最後の最後にエレンが素直になったのも良かったですね^_^
それにしても、ただのギャグだと思ってたおまけページで物語を締めるとは……。
またこのおまけページが救いになってるのもいいですよね……。
引き裂かれた3人が、生まれ変わって再び出会う。
アクエリですねぇ……。
アクエリであり《roman》ですねぇ……。
そこに《roman》があったんですねぇ……。
そして多分マブラヴで言うところのextraあるいはオルタードフェーブル的な世界なんでしょうね。
いやすごいわ本当に……。
▶︎最後に
というわけで進撃の巨人に対しての感想などを好き勝手に書き殴りました。
色々とガバなので、「ここそうじゃなくてこうだよ〜」とか、を自分はこう解釈した」みたいなのがあれば、コメント欄にコメントをお寄せください。
何はともあれ……諌山先生。
アシスタントの方、編集の方印刷所の方。
その他多くの関係者の皆様。
10年以上もお疲れ様でございます。
楽しませていただきました。
ありがとうございます。
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参考にしたインタビュー↑