やってみることの重要性 リバースエンジニアリングのススメ

結論「やってみた! はマジで大切」

目次

本当に理解するには自分でやってみるしかない

進撃の巨人をもっと理解したくてリバースエンジニアリングした

他にも自分でいろいろやった

案外人はものを見ていない

この記事で伝えたかったこと

本当に理解するには自分でやってみるしかない

リバースエンジニアリングという言葉があります。

これは主に工学系で盛んな概念で、簡単に言うと「車の仕組みを知りたいなら車を分解して中を見てみろ」というもの。

つまり、「何かを理解するには、それを分解してから組み立ててみるのが1番良い」と言う考え方です。

実際、プログラミングの学習の一環として、他人が書いたコードを映す事があるそうです。

で、この考え方を僕も取り入れてみたのですが……これが実際かなり良かったです。

進撃の巨人をもっと理解したくてリバースエンジニアリングした

僕は進撃の巨人が好きです。

過去にこういう記事を書き散らした程度には好きです。

考察サイトや考察動画こそ見ていませんが……諫山先生のインタビューは手当たり次第に読みました。

先生のブログ「現在進行中の黒歴史現在進行中の黒歴史 (livedoor.jp))」も全て読みましたし、公式の資料本も読んだりしました。

そこから更に、この作品を理解したいと思った結果、僕はリバースエンジニアリングすることにしました。

まあ、早い話が模写です。

ページ単位でコマ割り、キャラ絵、背景、フキダシなどをトレースしていきました。

模写したのは122話「二千年前の君から」

僕が全139話の中でもトップクラスに好きなエピソードです。

マンガの勉強などは全くしたことがない人間なのでとても大変でした。

が、得たモノはとても多かったです。

具体的に場面をさして語るとネタバレになるのでねつ造で喋りますが、

例えばこのシーンは笑っているんだと思っていたけど、よく見ると口の形がおかしいとか

このシーンは、ここにフキダシが入るからこういう配置なのかとか

テクニック的な部分から、諫山先生のクセみたいなモノも伝わってきました。

なるほど、こういう場面に遭遇したらこうやって対処していくのか……と。

ちょっとした衝撃でした。

しかし、何よりコレが一番衝撃だったの事がひとつ。

それは、自分は絵が下手だということです。

「お前、自分は絵上手いとでも思ってたのか?」って話ですが、もちろんそんな傲慢なことは思ってませんでした。

言い訳をさせて頂くと、そういう部活にでも入ってない限りは人前で絵を描くなんて機会ないじゃないですか。

あったとしても図工とか美術とかの時間くらいですし。

ですが、その図工とか美術の時間内では人並みには描けてましたので、人並みの画力はあるだろうと思っていたのです。

結構ショックでした。

それに加えて、僕が進撃の巨人を初めて見たのはアニメ版なのですが……当時の僕、中学生だったんですよね。

中学生と言えば、おそらく人生で最も生意気な時期です。

世の中の全てをなめてかかってる時期です。

周りの子達は「進撃の巨人の原作、絵ヤバすぎでしょw」とか言ってましたし、僕もご多分に漏れず言ってました。

そんな自分が実際にマンガの絵を模写すると……まあひどい。

他人に見せられる代物にはなりませんでした。

まさか、辛辣にけなしていた進撃の巨人1巻にも遠く及ばないとは……

ここで僕は学びました。

「〇〇は絵が下手」という意見は「(商業誌レベルの中では)〇〇は絵が下手」という注釈が入るのだと。

つまり、商業マンガという枠の中での相対評価をしてしまうからこそ、進撃の巨人は下手と断じられるだけなのです。

日本人全体の絵の中から判断すれば、とんでもなく上手い部類に入る。

こんな当たり前の事にも、このときにようやく気づきました。

だからこそ僕は「人間の盲目さ」を痛いほど理解できたのでした。

他にも自分でいろいろやった

模写で若干の精神的ダメージは負いましたが、得たモノは多かった。

これに味を占めた僕は、他にも同じようなことをやってみようと思いました。

自分の好きなコンテンツを分解して分析し、そこで得た知識を実際に使ってみました。

曲も作ったり、

漫画も描いたり

小説も書いたり

動画も作ってみました。

おかげで、それぞれがどれほど大変な作業の上で作られているものなのかわかりました。

(そして同時に、それがどれほど楽しいのかも)

案外人はものを見ていない

先ほども話しに上がったとおり、人は案外ちゃんとモノを見ていません。

これは本人に落ち度があるとかそういう話ではなく、シンプルに人間というのはそういうモノなのでしょう。

実際、確かに見てはいるのに認識はしていないことはたくさんあります。

例えば、天井を見てみてください。

天井見ましたか? 別に見なくてもいいのですが、見るとわかりやすいです。

あなたは天井を見るために上を向きました。

その天井を見るまでの間に、壁や椅子、机、ソファーなどいろんなものが目に映ったはずです。

しかし、天井を見ようとして途中に見えたモノのことを覚えているでしょうか?

多分、覚えてないと思います。

高速で景色が流れるから見えなかった、という考え方もあるとは思いますが、一応ここでの説明は「目的は天井なのでそれ以外の情報は脳に残らない」という事になります。

人間の脳は知らず知らずのうちに、記憶を省略しています。

それによって、不必要な記憶を排除しようとしているからです。

不必要な情報を排除すれば、記憶の容量を圧縮できますからね。

この機能は概ねプラスに機能しています。

が、今回の記事のように、何らかの作品をしっかりと見たいという場面ではマイナスに働いてしまいます。

この記事で伝えたかったこと

この記事で伝えたかったポイントは1つです。

それは「本当の意味で何かを見るには自分でやってみるのが効果的」という事。

そのために、リバースエンジニアリングという作業は大きな助けになります。

リバースエンジニアリングの本質は、目の前のことを自分で再現する事にあると僕は思っています。

再現するにはそれをしっかりと観察することが必要不可欠。

裏を返せば、そこまでしなければ人は真剣にものを見ることができないということではないでしょうか。

デッサンは書く練習と言うより、見る目を養う練習だという話は聞いたことがありますが、正しくそういうことなのかも知れません。

本当に何かを見るには自分でやってみるしかない。

という事は、人は自分のやった事しか完璧には理解できないのでは。

ある程度、や、ほぼほぼ理解することは可能かも知れませんが。

(それか、観察眼が優れた人間なら見聞きした情報にも敏感に反応できるかも知れません。

高橋留美子先生も社会的な体験は少ないが本はめちゃくちゃ読んでるらしいので)

わかることが増えるのは楽しいことです。

それが新しい趣味になるかもしれないとなれば、なおのこと。

悲惨な空気感の漂う時代だからこそ、心に平穏が必要だと思います。

ふと、せわしない歩調を止めて、俗世から切り離された自由な時間を持つことがそれにつながるのではないか。

最近はそんな確信めいた予感がしています。