「子どもの頃もっと勉強しておけば良かった」の裏に隠された意味
結論「目の前のことに一生懸命になろう」
目次
〇〇しとけば良かった
字面通りの意味ではない
冷笑がカッコイイ時期
二度は来ない時間
今日の自分が一番若い
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〇〇しとけば良かった
大人はよく、「子どもの頃に〇〇しておけば良かった」と口にします。
それは勉強だったり、スポーツだったり、青春だったり人それぞれです。
しかし、そんな中でも共通している点があります。
それは「ちゃんとやっておけば良かった」という事。
僕も小さい頃はこういうことを散々言われてきました。
当時は「うっとうしいな……」としか思っていなかったのですが、20代となった今の自分が振り返ると、当時とは違った色合いが見えてきました。
というワケで、今回は大人が子どもに言いがちな「子どもの頃に〇〇しとけば良かった」について考えたことをまとめたいと思います。
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字面通りの意味ではない
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そもそもですが、上記のやっておけば良かったというのは字面通りの意味ではなさそうです。
なぜなら、本当に勉強が大事だと気づいた大人は、大人になってから勉強を始めているハズなので。
勉強しとけば良かった……と思った人は大人になってから勉強しますし、
運動しとけば良かった……という人は運動を始めます。
つまり、今からやり直す事ができます。
やり直す事ができることなら、悔いる必要がないハズです。
(障害を負う、病気にかかるなどの理由でできなくなっている場合は別ですが)
では、なぜ大人達は一体何を悔いているのでしょうか?
それはきっと「ちゃんと勉強しなかったこと」ではなく「目の前のことに熱中しなかったこと」ではないでしょうか。
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冷笑がカッコイイ時期
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これを読んでいるあなたがどうかは分かりませんが……僕が子どもの頃「冷笑する(ニヒリズム)のがカッコイイ」みたいな時期がありました。
「でもそれは〇〇だから意味ないじゃん」とか
「これは〇〇がないから意味ない」という風に断じてしまうのがかっこいいと思っていました。
なんというか「俺は世界のことを知ってるぜ」みたいな気分に浸れました。
とは言っても勉強はそれなりにしてましたし(受験で使うので)、部活もそれなりにやってました。
ただ、それに本気で取り組んでいたかというと、まあ微妙です。
そんな微妙にそつなくやり過ごしていた時期を振り返ったとき、僕は「もったいないことをしたかもな」と思いました。
勉強なり、スポーツなり、趣味なり……
とにかく何でもいいからもっと真剣に取り組んでいれば、自分の成長速度はもっと速まったはずなのにな
真剣になれるモノがなかったのなら、そういうモノを探す行動を取れば良かったな、と感じざるを得ません。
そうです。
実は僕も「子どもの頃〇〇しとけば良かった!」と口にするタイプの大人になってしまっているのです。
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二度は来ない時間
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小学生として小学生の勉強をできるのは、小学生だけです。
同様に、リアルタイムで中学生の勉強ができるのは中学生だし、
高校生の勉強ができるのは高校生だし……
たしかに学び直しとして、後から振り返って立ち戻ることはできます。
しかし、学び直しているのは大人になった自分であり、当時の自分ではありません。
「自分が中学生だった何年何月」という歴史上のその時点に戻ってやり直す事はできないということです。
目の前のことに打ち込もうが打ち込むまいが、時間は流れます。
時間が流れて過去になり、やがて思い出になるでしょう。
思い出になるのはいずれも同じですが、自分の意志で渡りきった記憶と流されるままに漂っていただけの記憶では後悔の残り方も違う気がします。
やりきった!といえるなら後悔を抱えることはないのではないでしょうか。
それこそ、「〇〇しとけば良かった」とか言うことはないでしょう。
しかし、こんなことは後悔しなければ気づかないことです。
後悔するには、それが思い出になるまでの時間が必要なので、子どもには難しいでしょう。
10年そこら生きてきたくらいの蓄積では、判断基準が少なすぎます。
なので正直、子どもに対して「子どものうちに〇〇しといた方がいいよ」と言うのは意味のない行為だと思います。
じゃあなんで言うのかといえば、それは多分懺悔のようなモノなのでしょう。
自分は悔いているという情報を口に出すことで、救われた気分になるために。
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今日の自分が一番若い
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僕は今回、この件について考えた結果、後悔が残るような過ごし方はしたくないなと感じました。
なので、最近は1日1日を大切に生きています。
時間の使い方を考えて予定を立てたり、自分の行動指針を立てたり、自分のやりたいことに熱中したり。
そういう生活をしていると、今までの自分が以下にムダに時間を消費していたかを実感します。
今の世の中は基本的に人の注目を浴びればお金が入る状態です。
企業も個人も躍起になって、人々の注意を引こうとします。
しかも彼らのやり方は巧妙です。
自分の体が意図に絡め取られていても、決してそのことには気づきません。
そのシステムに気づけば自衛することもできます。
が、気づかなければまず太刀打ちできないでしょうね……。
だからこそ2,3年前の自分は、実際に糸の餌食になってました。
しかし先ほども言ったように、人が何かを知るには身をもって知るしかないと思います。
なので、まあそれについては深く掘り下げません。
話がとっちらかったので、まとめて終わりましょう。
若いうちに勉強しとけというのは勉強じゃなくてもいいから何かに打ち込めという意味。
目の前のことに一生懸命になれというのとほぼ同義で、毎日を大切にしたいですねという話。
どこで聞いたかは忘れましたが、「これからの人生で一番若いのは今の自分である」という言葉があります。
10年後も自分が生きていたら「ああ……10年前に〇〇しとけば良かったな……」とこぼす人生が良いでしょうか。
それとも「そういえば〇〇をやり始めてから今日で10年か。早いもんだなぁ」という人生が良いでしょうか。
何年か前にニュースで、80歳からバイオリンを習い始めたおばあさんを見ました。
「50歳の頃に“やってみたい”と思いました。でも同時に“50歳からじゃ遅すぎる”とも思いました。それであきらめてここまで来たんですが……ついに我慢できなくなって、80歳の時に習い始めました」
思うに、人間というのは初期衝動に振り回され続ける存在なのだと思います。
「やってみたい!」という感情がわき起こるのは発作的なモノで、一時はおさまっても、またどこかのタイミングでぶり返します。
できない理由を探すくらいなら一度やってみて、「自分には向いてないな」という点を見つけて判断するのが良いでしょう。
多分そういう心構えの一つ一つが、将来の後悔を減らしてくれるんだと思います。