映画『時計仕掛けのオレンジ』あらすじ・ネタバレ感想
こんにちは。なめです。
前回に引き続き、映画を見ています。
今回は「時計仕掛けのオレンジ」という作品を見ましたので、それについての感想を。
注意事項
この記事は『時計仕掛けのオレンジ』のネタバレを含みます。
内容のほとんどを明かすことになりますので、ご注意ください。
ネタバレがイヤな方は読むのを中断していただきたいと思いますが……
正直、ネタバレしたところでどうにかなる作品ではないので問題ないと思います。
目次
あらすじ
視点の力について
作品の世界は今の世の中に近い
正しいこととあしき事は簡単に反転する
ここが変だよ時計仕掛けのオレンジ
あらすじ
(言い訳:自前であらすじを書いたんですが、wikiを見たら全然違ったのでwiki版を載せます(^◇^;))
ドルーグのウルトラヴァイオレンス
舞台は近未来のロンドン。クラシック音楽、中でもベートーヴェンをこよなく愛する15歳のアレックス・デラージ(Alex DeLarge)をリーダーとする少年4人組“ドルーグ”は、今夜もコロヴァ・ミルク・バーでドラッグ入りミルク“ミルク・プラス”を飲みながら、いつものように夜の世界の無軌道的な暴力行為“ウルトラヴァイオレンス”の計画を立てていた。
労働の担い手とならない老人は街中にゴミのように打ち捨てられホームレスとなっており、アレックスたちは酔って寝ていたホームレスを棍棒でめった打ちにする。ほかの不良グループ(ビリーボーイズ)は“デボチカ”少女を“フィリー”強姦すべく、廃墟に連れ込み血気盛んに衣服を剥ぎ取りベッドに押し倒すが、見計らったかのようにアレックスたちが現れ、全員を棍棒で叩きのめす。その乱闘中にサイレンの音が近づき、アレックスたちは逃走する。
興奮冷めない一行は盗んだ車で郊外へ走り、困窮を装って助けを求め、親切心から扉を開いた中年作家の家にマスクを被って押し入ると、「雨に唄えば」を歌いながら暴れて作家を押さえつけ、目の前で作家の妻を輪姦した。
翌日、いつものように学校をサボったアレックスは、レコード店で引っかけた女の子2人と自宅でセックスをする。その後、グループのリーダーをめぐって仲間と一悶着を起こすが、その夜仲間と共に金持ちが住む一軒家へ強盗に出かける。アレックスは男性器をかたどったオブジェで老婦人を“トルチョック”し撲殺するが、昼間のいさかいが原因で仲間から裏切られ、彼だけが警察に逮捕される。
ルドヴィコ療法
アレックスは懲役14年の実刑判決を下され、収監されて2年が経とうとしていた。牧師と懇意になるような模範囚を装っていたアレックスは、内務大臣にキリスト教への信仰心とクラシック音楽の趣味を見出され、さらに犯罪歴から野心を気に入られ、「ルドヴィコ療法 (Ludovico technique)[注 2]」の被験者となることと引き換えに刑期短縮の機会を得る。12年の獄中生活から逃れるため、アレックスは志願した。治療のためアレックスは施設に移送された。その治療は、被験者に投薬を行った上で拘束服で椅子に縛り付け、“リドロック”のクリップでまぶたを見開いた状態に固定し、眼球に目薬を差しながら残虐描写に満ち満ちた映像をただじっと鑑賞させ続けるというものだった。投薬によって引き起こされる吐き気や嫌悪感と、鑑賞中の暴力的映像を被験者が「連係」することで、暴力や性行為に生理的拒絶反応を引き起こすように暗示するのである。映像のBGMに使われていたのは、偶然にも彼が好んで聴いていたベートーヴェンの第九であった。これによりアレックスは、最も敬愛する第九を聴くと吐き気に襲われ倒れてしまう身体となる。
治療は成功し、以後彼は、性行為や暴力行為に及ぼうとすると吐き気を催すほどの嫌悪感を覚え何もできなくなってしまう。それは犯罪に向かう暴力の根本的解決ではなかった。そして出所前に医師たちの立会いのもとで催されたデモンストレーションでは、政府高官や関係者の前で治療の効果が証明された。一同が生まれ変わったアレックスを目の当たりにし喜ぶなか、刑務所でアレックスと親しかった教誨師は、彼が行っているのは苦痛からの逃避であり、自ら選択して行った善(暴力の拒否)ではないことを指摘する。アレックスは暴力に対して無防備となり、それに抗うことを選択する能力のない存在となった。それはまるで中身が機械でできている人間、『時計じかけの“オレンジ”』のようであった。
アレックスの出所
アレックスは暴力に対して無防備な人間となって出所する。両親を驚かそうとして連絡せずに帰宅するが、両親はアレックスと風貌の似た男に彼の部屋を貸し、親子同然の関係を築いていた。アレックスはその男から過去の過ちを非難され、両親からも冷たくされて、居場所なく家を出る。途方に暮れているとホームレスの老人が“カッター銭”を求めて来た。自分の境遇に通ずるものを感じポケットから金を出して与えるが、そのホームレスは以前彼がリンチした老人だった。老人はまるで死人でもみるかのような驚きの表情となり、人相を確認し、アレックスを追う。アレックスは逃走を試みるがほかのホームレス達に囲まれ、リンチされるがままになる。このときアレックスは、あえて抵抗しようとせずに暴行を受け入れた。アレックスにとって、暴力への嫌悪感による苦痛よりは、暴行を受けるほうがマシであった。この異変に気付いてやって来たのは、警官に就職したかつての仲間のディムとジョージーたちであった。警官たちはアレックスを人目のない郊外に車で連れ出すと、容赦のない暴力を浴びせて放置する。
惨憺たる様態で冷たい夜の雨の中をさまよったアレックスは、それとは知らず以前襲った作家の家に助けを求める。作家の世話をしている屈強な筋肉質の男に抱きかかえられ中に入れられると、見覚えのある作家の前に出た。夫人はすでに肺炎により死亡しており、作家はその死をアレックスからの強姦に原因があると思い込んでいた。また、作家自身はアレックスから受けた暴行の負傷により車椅子生活を送っていた。
作家はアレックスが受けたルドヴィコ療法を新聞報道により知っており、犯罪対策に手段を選ばない政府の横暴に憤っていた。そして、目の前に現れた彼を利用することで政権にダメージを与えることを思いつく。作家は入浴を勧め、アレックスが入浴している間に電話で要人と熱心に打ち合わせをする。風呂に浸かって安堵したアレックスは「雨に唄えば」を歌い始める。作家はこの歌声でかつて自分達夫婦を襲ったマスクの少年が彼であると気づくと、我を忘れるほどの激しい憎悪が湧き上がる。
入浴を終えたアレックスは食事にありつくが、作家の様子に違和感を覚えた。要人が到着し、アレックスは治療の詳細な質問に応じる。「『第九』を聴くと死にたくなる」ということを話したところで、アレックスはワインに入れられた薬物により意識を失う。
意識を取り戻すとアレックスは高い階の部屋に監禁されており、大音量の「第九」を聞かされる。アレックスは激しい嘔吐感に襲われ、死ぬつもりで窓から飛び降りる。暴力に対して過剰な嫌悪反応を植えつけられた彼だが、自己に対する暴力の手段が残っていた。アレックスを自殺に追い込み、メディアを利用して政府打倒を目論むことが作家の企てであったが、アレックスは死ななかった。
アレックスの回復
アレックスが目覚めると、ギプスと包帯姿で病院のベッドに横たわっていた。体が少し回復すると精神科医が現れて、絵のシチュエーションに相応したセリフを答えるテストを始めるが、もはや受け答えに性行為や暴力行為への抵抗はなくなっていた。特別な個室に移されたある日、ルドヴィコ療法実施をアレックスに決めた内務大臣が訪れ、治療が原因の自殺未遂事件で下がった政府の支持率を回復するため、世間に対して今度はルドヴィコ療法から完治したデモンストレーションをして欲しい、と言葉を濁しながら頼む。アレックスは野心的に快諾すると、大臣は友好の証としてプレゼントがあると応じた。商談が成立すると、待機していた2台の大きなスピーカーと大勢のカメラマンが部屋に雪崩れ込み、仲睦まじそうに手を取り合う両人の撮影を始める。大音量で鳴り響く「第九」のなかでアレックスはセックスシーンを思い描きながら恍惚の表情を浮かべる。それは以前の邪悪な顔つきそのものであった。
時計じかけのオレンジ - Wikipedia
(……時計仕掛けのオレンジなんて単語作中に出てきたっけ……?)
大まかにまとめると、
主人公は不良少年(青年?)。
暴行・性的暴行などを繰り返していたが、ある日、謝って人を殺してしまう。
逃げようとするも、仲間に裏切られ、警察に捕まる。
ルドヴィコ療法という特殊な治療を受けた結果、刑期が一気に短縮し、釈放。
ただ、その弊害で第九を聞くと死にたくなるようになった。
ルドヴィコ療法を非難する団体の手によって殺されかけるが、命を取り留める。
その時にルドヴィコ療法の効果が切れたのか、主人公は完全に元の状態へと回復したのだった。
……みたいな感じです。
視点の力について
この作品では、明らかに主人公がおかしいんです。
散々悪事を働いておいて、自分の事を「謙虚な語り部」などと抜かしているのですから。
(これはある意味正しいのかも知れません。
どんな悪人でも自分の事を悪人とは思わないものなので。
詳しくは以下の本で
)
なのに、僕は、見ているうちに主人公に同情してしまっていました。
つくづく視点の力は恐ろしいと言わざるを得ません。
この作品はならず者の青年が主人公なんですが、
彼の視点で物語が進行するので、観客は次第に彼へと感情移入してしまうのです。
彼が今までにひどいに合わせた人たちから仕返しされるシーンでさえ、気の毒に思ってしまいます。
悪いのは彼なのに!
ボコボコにされてしかるべき人間なのに!
写し方1つで、見え方も大きく変わってしまう。
送り手が故意に操作すれば、受け手の思考はある程度コントロールできてしまうという事です。
やはり何かを判断するときは、1つの角度だけでなく、複数の角度から見つめる必要があると感じました。
作品の世界は今の世の中に近い
この作品に漂う殺伐とした空気感。
誰がナイフで刺してきてもおかしくないような緊張感は今の世の中と近いものを感じます。
(多分一番近いのはゼロ年代の殺伐さだと思いますが)
そして象徴的なのはルドヴィコ療法。
これによって”治療”されたものは反撃が出来なくなります。
それにより、主人公はなすすべなく暴行を加えられるワケですが、それを見ていて頭に浮かんだ光景があります。
それは現在の日本で起きている、炎上した人間を徹底的に叩く様子でした。
毎日のようにマスコミやネットメディアがサンドバッグを提供し、イラだつ国民がそれを殴り倒して気を沈める。
映画の中の光景と、現実の中の情景が、僕には無関係に見えませんでした。
僕自身もたまに、炎上した人間に対して「ざまぁw」みたいな態度を取ってしまいます。
が、ひょっとするとそれは、映画ないで主人公を暴行していた人たちを何ら変わらないのではないか……
身につまされる思いでした。
正しいことと悪しき事は簡単に反転する
先程の内容と被る話ですが、主人公ボコボコにする人たちは皆一様に嬉しそうな顔だったり、憎らしそうな顔だったりとにかく醜悪な表情を見せます。
彼らのしている事はやられた事をやり返しているだけなので、一見正当なことに思います。
(法的妥当性があるかは微妙なところですが)
しかし彼らの表情を見ると生理的な嫌悪感の方が先走り、正当性のかけらもないように見えるのです。
つくづく写し方は恐ろしいなと感じました。
それに加えて、過ぎたるは及ばざるがごとしという言葉を思い出しました。
正しいとされることも過剰になってしまえばそれは悪になる。
人間は水を飲まなければ死にますが、飲み過ぎても死にます。
正しい見方とは何なのか。
今自分がしている見方は正しいのか。
これを常に模索する必要があると思いました。
ここが変だよ時計仕掛けのオレンジ
以下は、この映画を見ていて感じた違和感についてです。
お前いくつだよ
母親が「学校の出席がうんぬん」と言っていたので先生かと思ったのですが、どうも生徒っぽい。
というのも彼の家に生活指導っぽい先生が来ていたからです。
教員が生活指導を受けるとは思いがたい。
という事は教員ではない。
かといって大学生かと思えば、大学は出欠席でとやかく言う所ではない。
(母親は言って然るべきかも知れませんが)
しかし高校生と言うには少し無理が……
という感じで、最初から最後まで主人公が年齢不詳でした。
Wikipediaによると15歳らしく、そう考えると色々と納得する部分はあります。
大人びた物言いをする子どもみたいな口調だったり、クラシックが趣味だったりで、少し背伸びした子ども。
あるいは子供っぽさが抜けない大人みたいな感じがします。
とはいえ、作中でそれらの説明はないので、終始年齢不詳でした。
まぁ彼の年齢がそこまで重要とは思わないので、それほど問題ではないんですが。
プロットに起こすとたいしたことない話
原作小説は読んでいないので映画だけで判断しますが、プロットに直すと大したことない話なんですよね。
- 悪事を 働く主人公がいる
- ある日捕まる
- 刑期を終えて外に出ると復讐される
- 完全に治ったね!
という感じであまり大きな動きがあるわけじゃないんですよね。
演出や仕方や画面の内容は奇抜なので面白く感じますが、
実はあまり整合性が取れていなかったりする気もします。
映画は基本的に面白いとすごいの両輪で回っているという話を聞きますが、
この作品は面白くはないものの、すごいは十分です(しまった。この記事のオチをもうここで書いてしまった)。
なので、すごいことはすごいですし、見終わった後も「すごいものを見たなあ……」という気持ちになります。
が、個人的にこの作品はアーティスティック・アジテーション(=主張)に偏って整合性をかなぐり捨てている印象を受けました。
そういう作品はあまり好きではないです。
面白くてすごい作品を見た後は「自分もこういうのを作りたい!」と思うのですが、この作品ではそういうのはありませんでした。
これらの点を踏まえて、この映画は「凄いと思うが面白くは無い」というのが僕の感想です。
わざわざ今見るほどのものかと言えば微妙なところですが、まあAmazonプライムなら無料で見られますし、見てみてください。
僕が思うにですが、エンタメでも深いことは言えると思うんですよね。
もちろん、その純度は下がってしまうかも知れません。
しかし、観客を楽しませながら深いメッセージを伝える事はできると、僕は数々のアニメ・ゲーム・マンガ・映画から学びました。
いつか自分の手で作品を作り、自分もメッセージを届ける側になりたいです。
もちろん、ある程度のエンタメで。
では。