スペースの良い点についてとやっぱり問題点について

前回の記事(スペースという「強いつながりを強要する」SNSのカタチ | プリティー心理ズム (bokutere.com))でスペースに対する率直な感想を述べさせていただきました。

その内容はほぼほぼ批判点だったワケですが……

このスペース、全てが全て悪いわけでもありません。

良い点もあると思います。

今回はそれについて短く掘り下げようかと思います。

政治ツイートに見るTwitterの限界

今やTwitterは有名人叩きと政治的ツイートの温床となって久しいと言えます。

もちろん、中には政治や経済や社会問題に対して誠実な姿勢で向き合い、その結果発せられたツイートもたくさんあります。

とはいえ、それを遙かに上回る量の罵詈雑言が飛び交っているのも事実。

正直見るに堪えないのですが、これは一概にツイート主のせいとも言い切れない側面があります。

ご存じの通り、Twitterは個人のつぶやきを投稿するサービスです。

それが故に、短文(140文字)での投稿にしか適していません。

そして短文で投稿を余儀なくされれば、枝葉の部分をそぎ落とす必要があります。

たいていは修飾語や副詞を消し、言い換えや略称が使えるモノは使い、最終手段としてメモアプリにベタ打ちしたスクショを貼り付けます。

まあ最終手段を使えばある程度は解決できるとは言え、文字数の問題が完全になくなったわけではありません。

Twitterというのはその性質上、どうあがいても短い言葉で話をまとめなくてはならない。

そして短くするということは、その分の説明を省くということです。

説明を省くとどうなるかというと「解釈の幅=書き手と読み手間のギャップ」が生じます。

小説などの作品では、この解釈の幅というのはとても大事にされます。

この幅が広ければ広いほど、その作品が内包できる多様性が増すからです(男にしか共感できない作品だと男にしかウケないが、男も女も共感できる作品はもっとたくさんの人に訴求する)。

しかし、ことTwitterにおいて、この幅が逆に良くない作用を起こしています。

Twitterはあくまでも「情報を伝達するメディア」なので、解釈の幅なんて必要ありません。

というか、逆にあってはならない。

(※ただし、「情報伝達を目的としたコミュニケーション」においてのみ。そうでない日常ツイートなどは行間に風情を込めることで味わい深くなる。そういうツイートは私も大好きだ)

にも関わらず、Twitterには字数制限があります。

そのために最小限の文字数でムダのない投稿をしなくては成りません。

そしてその結果、多様な解釈が生まれ、情報にブレが出来てしまう。

なぜなら、深く説明しないというのは「自分で考えてね」ということであり、「自分で考えてね」というのは相手に解釈を丸投げすることでもあるからです。

相手と自分の間に共通する前提知識やバックボーンがあれば、このような以心伝心は可能でしょう。

が、それを画面越しの名前も声も知らない相手に求めるのは、かなり無理のある話ではないかと感じてしまいます。

そしてそういう元々無理なことをやろうとしているからこその、政治ツイートの阿鼻叫喚なのではないでしょうか。

そう考えると、これはTwitterが抱える根本的な問題であると言わざるを得ません。

対抗策スペース

おそらくTwitter社自身も、この問題について意識していたのではないでしょうか。

だからこそ、その対抗策としてスペースをリリースするに至った……という風に思います。

理由は簡単で、「情報伝達を正確に行うには、音声コミュニケーションが最も適しているから」でしょう。(まぁ一番良いのは音声+資料とか複数の媒介による伝達でしょうが)

音声によるやりとりなら、相手との共通する背景を引っ張り出して会話にねじ込む事も可能ですし(相手が野球好きだと分かったら、野球で例えたりして伝える)、相手が腑に落ちないような態度を取っていれば補足して説明すれば良いですし。

スペースの利点は、Twitterが抱える構造的欠陥を上手いことカバーできる形になっていると感じられます。

スペースは状況を打開し得るか

ではスペースによって状況は良くなるか?

まあならないでしょう。確実に。

前回でスペースのデメリットは話しましたのでここでは割愛しますが、

スペースは知り合い同士で話すことがほぼ前提となっています。

見ず知らずの人にケンカをふっかけて回る勇気のある人は別ですが、基本的には自分と近しい思想を持った人と会話することになると思います。

という事は、自分の意見に対する反対意見が出てきにくいので、自分の思想がより強化される結果となるでしょう。

そうなれば自分の意見に対して確固たる信頼を置くようになり、対抗意見に偏見を持ち、ヘンケン・ベッケナーです。

次回「レコアの気配!」 君は、刻の涙を見る。(画像https://dp00013984.shop-pro.jp/?pid=63401339より)

分断された世界

世界は今、大きく分断されてしまっています。

男と女、老人と若人、金持ちと貧乏人。

その原因のひとつにTwitterなどのメディアがあるのは間違いありません。

自分と同じ思想の人間のツイートだけを検索してほくそ笑む。

逆に反対意見の人間をミュート/ブロックして精神安定を図る。

分かります。

私だって同じ事をしてしまうときがありますから。

しかし、そんなことでいがみ合っている時ではない。

私たちには解決しなければならない大きな問題がいくつもあり、

それはとてもひとつの勢力だけで解決する事ではないのです。

人類はひとつにならなければならない。

そう、人類補完計画のように。

5日前

前回の記事にて

今の世界は、限りなく人類補完計画後の世界に近い状況になってしまいました。

もはや「他者とどう繋がるか?」は問題ではありません。

「どうやって繋がりすぎた世界を切り離すか?」が問題なのです。

スペースという「強いつながりを強要する」SNSのカタチ | プリティー心理ズム (bokutere.com)

嘘つきは

泥棒の始まり……

ってね。

何を盗んだかって?

良い質問だ……。

それはね奥さん。

あなたの

「♡(こころ)」

    ですよ。

大場つぐみ「……」

うぐぅっっ???????

ふぎっぐっ

ぐっ ぶっ ぶっ ぼっ……

なめ「……」
母「なめ〜ご飯よ〜」
母「……なめ?」
なめ「……」
母「……! こ……こいつ」
母「……死んでいる……!」


一八八九年 2月7日

なめサン・ジョースター

死亡

前回

オチが意味不明な方はコチラをご覧ください。

「ああそういうことか。くっだらね」と尻から屁が出ると思います。