ジャンルが豊かになるためには駄作が必要だ!
(※画像、およびリンクの作品に深い意味はありません。本当です)
今回のタイトルは「駄作が必要」だが、この言い方は誤りであることを最初に明記しなくてはならない。
駄作があるというのは十分条件であり、必要条件ではない。
スタージョンの法則
スタージョンの法則というのがある。
これはセオドア・スタージョンという作家が言った言葉とされている(諸説ある)。
内容は「SFの90%はカスである」というものだ。
この言葉が引用される際は主に「90%はカスであるけれど、残りの10%はとんでもない傑作だ」というニュアンスで用いられる。
言い換えると、「10%の傑作が生み出されるには、90%のカスが必要」という事になるだろう。
この理由についてはWikipediaに詳しく記述されている。
他方で、「一定の名作を生むジャンルには、常に多量の駄作がある」という風に言い換えることもできる。例えばゲーム業界であれば、名作ゲームの影には常に大量の駄作ゲームがあるということになる。多量の駄作の存在は、それらを受け入れる市場の存在を前提にするが、それが存在しないジャンルは名作を生み出せない。そのような駄作は、駆け出しの制作者の修練の場でもあるからである。それを失ったジャンルは、後継者を失って先細りになりがちである。
スタージョンの法則 - Wikipedia
つまり「駄作でも買ってくれるお客さんがいないと、野心的な事はやれない」ということだ。
駄作は基本的に
- 新人の習作
- 野心的な挑戦作
- 本当に手を抜いて作った擁護できないカス
の3種類。
一番最後のはともかく、上2つは切実な問題である。
たとえ才能のある新人でも、やはり実戦経験がないと上手く行かない事もあるはずだ。
やはり経験に勝る学習はないだろう。
そして、生み出された駄作とは、そういう新人の教育が行われた結果なのかも知れない。
野心的な実験に関しても同じだ。
今までにない表現を追求したとしても、それが客にウケるかは分からない。
スベるだけならまだしも、ひょっとしたら反感を買って抗議の嵐に飲まれるかも知れない。
だが、踏み込んだ実験には、必ず反発する人々も出てくる。
そして実験がなければ、表現の進歩は止まる。
たとえ駄作を掴まされたとしても、次回作が面白くなるのなら、それはそれで報われるのかも知れない。
作り手も、受け手も。
これらを考慮すると、ある程度駄作が生まれてしまうのは仕方のないことかも知れない。
新人の練習や、野心的な実験の場がなくなってしまえば、将来の傑作を手放してしまうことになりかねないのだから。
……まぁ、正直私たちの金で練習や実験されるのも勘弁して欲しいのだが。
駄作に優しく
私は結構、駄作に厳しい立場を取ることが多かった。
しかし、その考えも改める必要があるかも知れない。
ちょっとだけな。
あんまり甘やかすと、駄作で金稼ごうとか思う輩が現れる可能性だってある。
しかし、キツくしすぎるとそもそも作品自体が生まれない。
この辺の問題はとても慎重に対処しなくてはならない。
私はゲームを買ってプレイする時、可能な限りクソゲーを避けてきた。
だが、今日からは違うだろう。
昨日よりも少しだけ、クソゲーに優しくしよう。
なるべくお金を落とそう。
それが、この業界を生きながらえさせる術なのだから。
そしてそれこそが、自分の人生を豊かにしうる付き合い方なのだから。
そう思った。
まぁでもメルカリで買うけど
クソゲーなんかにフルプライス出さねえよ!