【大学生】面談で就職しませんと言ったらブチギレられた話【就職課】
【大学生】面談で就職しませんと言ったらブチギレられた話【就職課】
こんにちは。
今回は少し個人的な話をさせてください。
要点だけいうと、「就職課のおじさんと交わしたやりとりで自分の人生を見つめ直すことになった」
というお話です。
目次
・ぼくはだいがくさんねんせい
・遅すぎた反抗期
・僕@就職課
・おじさん@就職課
・応酬—僕VSおじさん—
・人生には何を求めるのか
・わかるまでは待てない
ぼくはだいがくさんねんせい
僕は現在大学三年生です。(2019年現在)
三年生になると浪人していなければ二十歳になり、お酒を飲んだりして生活スタイルが変わっていく人が多いと思います。
まぁ、僕はお酒を飲むような友人もいませんので、生活スタイルは特に変わりませんでしたが。
そして変わっていくのは生活スタイルと書きました。
それは食生活だけで収まる変化ではなく、交友関係だけではなく、四年生に向けて就活の準備が始まります。
具体的にはインターンシップだったり、面接対策だったり、名刺の作り方、グループディスカッションの練習などなど。
僕の大学でもそれにもれず、「就活対策講座」みたいなものがたくさん現れました。
正直「いきなり来られても困るんですけど(^◇^;)」と感じてしまって、結局僕は
就活対策講座も、就活対策講座のガイダンスも、他のイベントにも一切参加しませんでした。
しかし、行かないと行かないで、
「欠席者はこの日程で資料をお渡ししますのでお越しください」なんていうメールが届くようになりました。
遅すぎた反抗期
それで余計に腹が立ちました。
いいって言ってるのにしつこい、と。
腹が立って仕方がなかったので、メールの指示も無視しました。
そして「就活」や「就職」という文字がつく類のことは全て突っぱねました。
今に至るまで一つとして出席していません。
ことが動いたのは数週間後。
1通のメールが届きました。
「個人面談のお知らせ」
全ての学生に対し、就職課で面談を受けるよう指示する内容でした。
これは拒否できず、絶対に行かなければならないそうなので、とりあえず行ってみることにしました。
強いられた以上、断るわけにもいきませんでした。
僕@就職課
はっきり言って、僕は就職課という場所におよそ相応しくない人間だったように思います。
僕の考えは
生活費を稼ぐだけなら就職をする必要はない
というものです。
例えばランサーズやWantedlyを使えば、1日単位で仕事を作れますし、タイミーなんかだと数時間単位で仕事を受注できます。
今時、仕事をする方法は会社に勤めるだけではないし、何より安定を手にしたいならそうすべきです。
なにせ、大企業ですら安泰ではない世の中な訳ですから。
おじさん@就職課
はっきり言って、彼は就職課という場所に最もふさわしいタイプの人間だったように思います。
たった20分の面談では、彼の考えを知るに至りませんでしたが、たぶん
こいつを何としてでも就職させてやる
と言ったところでしょう。
というのも、彼の手元にあったプリントをチラッと見たとき「就職率」という文字が見えたからです。
僕の大学は、卒業生の就職率が高いことがウリの一つでした。
まぁ、彼も大学の就職課に属する人間ですし、大学からは1人でも多く就職を増やすことを求めているのでしょう。
それに彼自身、典型的な終身雇用思考でモノを言うタイプだったので、その面から言ってもこのポジションには適任でしょう。
応酬—僕VSおじさん
「よろしくお願いします」
「はい、どうぞそちらにかけてください」
部屋の隅、3つ並んだブースの真ん中で、僕たちは向かい合って席に着きました。
会話は穏やかなものでした。
……僕が席に着くまでは。
「ではまず、卒業後の進路を教えていただけますか?」
「はい、決めていません」
「……?」
僕の意思を伝えるや否や、態度は変貌を遂げて行きました。
正直細かい会話の内容は覚えてないのですが、最後の方はシンプトンズのアニメかってくらい目をひん剥いて
「あなたはそう考えてるようですがねぇ!!(半ギレ)」
という感じにまくしたててきましたからね。
それに対して反論しても良かったのですが、僕は前頭葉の能力を鍛えているので理性でセーブしました。
というのは建前でして、実際はただビビってただけです。
なんせ、人に怒鳴られるなんて体験は2ヶ月前にやめたバイト以来ですからね。
まぁ後半はもう僕もだんだん面倒臭くなって、早々に「ありがとうございました〜」と言って席を立ちました。
「何か相談があればまた来てください」みたいなことを言われましたが、今のところもう一度行く予定はありません。
人生には何を求めるのか
というわけで色々と散々な目にあったわけですが、良かったこともあります。
それは、僕の人生に対して自分自身でもっと深く考えるようになったことです。
僕は人生を組み立てる上で重要なのは、人生において重きをおく価値、すなわちコアバリューだと考えています。
1日の中で取る全ての行動は、
「コアバリューに沿うか沿わないか」で判断されるべきだと、もちろんそうすることができる事ばかりじゃないですが思っています。
しかし、おじさんとのやりとりの中で、僕は自分のコアバリューが揺らぐのを感じてしまいました。
自分が信じていたものを、自信を持って信じ続けることができなくなったのです。
今まで「これだ!」と思い、ひたすらそれに向かって歩いてきたはずだったのが、いつの間にか「本当にこれか?」という疑いに変わってしまったのです。
これが気になりすぎて夜しか眠れませんし、ご飯も喉を通ったり通らなかったりします。
ただし、メンタルの方はボロボロでした。
わかるまでは待てない
人生に求める意義とか、将来は何になりたいとか、どんな生き方をしたいとか。
そもそも分かるわけがないんです。
たしかに、「俺は絶対、教師になるんや!」みたいに目標が定まっている人もいますが……あいにく、僕はそうではありません。
僕はまだ20年間生きてきたというだけの世間知らずのガキです。
どんな生き方が善い生き方なのか?みたいな問いは、哲学者たちが一生をかけて追い求めたような高次元のモノ。
天才や秀才の大人たちがこぞって答えを求めていたような問いに答えを導き出せるほど、僕には天才的ひらめきはありません。
しかし、多くの場合、世の中というのは個人を待ってはくれないわけです。
モラトリアム(支払猶予期間)としての大学生活すら、4年そこらです。
たった4年でその後も続いていくであろう何十年を決めるなんて無茶振りもいいところな訳でして、そもそもおかしい話だと感じます。言い訳がましいですが。
しかし、例え世の中が待ってくれたとしても時間は待ってくれないんですよね。
自分が一回呼吸するたびに呼吸分の時間はなくなるし、瞬きをすれば瞬き分の時間が消える。
そうなるともはや動きながら考えていくしかないのかな、と思います。
インターネットが生活に大きく取り入れられるようになってから、時間の流れも大きく早まった気がします。
僕も早いところ自分の揺るがない何かを手に入れたいです。
気持ちばかり焦りますが、行動あるのみ。
自分が止まらない限り、終わらない。
終わりがないのが、終わり。
オチがないのがオチ。
結局いまいちまとまりのない文になってしまいました……こんな感じですみません。
そしてこんな感じでも読んでいただいてありがとうございます。