なぜプリチャンを見る気にならないのか【考察】

https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/ci?workId=22081 より


目次

  • 考察という名の言い訳探し
  • 1,細切れなストーリー【ツァイガルニク効果】
  • プリリズも細切れでは?【明確な流れ】
  • 2,外発的動機づけ【モチベーション】
  • どうすれば見る気になるか
  • まとめ


考察という名の言い訳探し


僕は最近プリチャンを見る気になれません。

プリチャンが嫌いになったわけではないです。

キャラも、曲も、ゲームも、相変わらず好きではあるのですが「アニメを見る」という行動に結びつかない。


このブログは一応「プリティーシリーズの作品から心理学的な発見をする」というテーマでやっているので、アニメを見ないことには始まりません。


見なければいけないのですが、見なければならないと思うほどに見る気がなくなります。


一度、プリチャンを見ることを習慣にしようとしたのですが数日で途切れました。

というか、習慣化すれば行動による感情が消失します。


それは「プリチャンという作品を鑑賞することによる感動」すらなくなってしまうんじゃないか?

という不安も呼び起こしたりしました。


そもそも、これが一番大きな要因なのですが

前作であるプリティーリズムとかプリパラとかは、普通に続きが気になって寝る間も惜しんで見てたんですよね。


プリチャンとプリリズ、プリパラとでは何が違うのか考えてみました。


細切れなストーリー【ツァイガルニク効果】


誤解を恐れずぶっちゃけてしまうと、プリチャンって

ストーリーが細切れで続きが気にならないんですよね。


これはストーリーがつまらないとか面白くないとかそういうお話ではなくて、

キリのいいところで切れちゃうから続きモノという感覚が失われてしまってるということです。


アニメだと名探偵コナンとか、逆転裁判とか

同じ日曜日だと仮面ライダーとかが分かりやすいと思うんですが、

これらの作品は基本的に2話完結スタイルです。


もちろん、全話を通しての大きなストーリーの流れは存在します。

仮面ライダーなら敵組織を倒す、とか)


その上で、大きなストーリーを語る助けになる形で基本的に2話がセットで1つの「起承転結」になってます。


仮面ライダーを例にとると、

まず前編に当たる1話目で


・敵の出現

・敵に追われるキーパーソン出現

・敵を倒す必要性の説明


などが行われます。


そして、後半に当たる後編で


・敵と戦う

・敵を倒す

・次の事件が起こる


みたいな。


2話でひとつのエピソードが完結するので

当然、1話目を見た後は2話目を見たくなります。

1話目で終わらせると尻切れとんぼになってしまうので、見ざるを得ません。


このように

中途半端なところで中断してしまった事柄に対して、人間は注意力が引きづられてしまいます。


これを「ツァイガルニク効果」と呼びます。


プリチャンはどうなのかというと、

ほぼ「ドラえもん」や「サザエさん」のような1話完結型のスタイルをとっています。


1話1話で起承転結を含むので、

続きが気になりません。

「あのエピソードは終わった」という認識が強まり、また見ようという感覚にならないわけです。


プリリズも細切れでは?【明確な流れ】


しかし、冷静に考えてみると

プリリズだって1話完結のストーリーがいくつもあります。

プリパラだってそうです。


これらはプリチャンとはどう違うのでしょうか?


その答えですが、僕個人としては

明確なストーリーの目的があるかどうか

だと思っています。


例えば、プリリズのオーロラドリームなら、


阿世知社長、ジュンさん「オーロラライジングを跳ぶにはウェディングコーデが必要」

「ウェディングコーデは各大会に勝つともらえる」


春音あいら「ハピラキ!」

天宮りずむ「私はオーロラライジングを跳ばなきゃいけないのッ!」


という流れが序盤の3話くらいで挟まれます。


これにより、


・この世界におけるジャンプの頂点はオーロラライジング

・神崎そなたが跳んで以来、誰も跳べてない

・天宮りずむはオーロラライジングに執着している


という大事な情報を見せることができており、

視聴者は「オーロラライジングを跳ぶことはすごく重要なことなんだな」という認識を持ちます。


一方、プリチャンはどうかというと


「プリチャンは!誰でも配信できるサービス!」


桃山みらい「そうなんだ」


「みんなトッププリチャンアイドルに憧れてる!」


桃山みらい「そうなんだ」


って感じです。


・プリチャンってのが流行ってる

・トッププリチャンアイドルにみんな憧れてる


というのは伝わってくるのですが、

そもそも主人公はトッププリチャンアイドルを目指しているのか?

とか

なんの目的があるのか?

という大きな目標というかゴールが見えません。


明確なゴールが見えないということは、

50話を通してのストーリーとしてのまとまりがないので、1話1話のエピソードに注目するしかなくなります。


大きなストーリーの流れがない

1話1話のエピソードに注目

1話完結なので続きが気にならない

見ない


他の方はどうかわかりませんが、僕はこうなりました。


一期でも一応、後半からは

アンジュさんはプリチャンをやめるのか?

という部分が重要視され、大きなストーリーとしての流れが出てきましたが……


いかんせんそれまでが長くてだれてる感が否めなかったとも感じます。


(というか「やめたい」と言ってるアンジュさんに対して同調圧力で無理やり続けさせるという展開がかなり不快だったというのもあるかも知れません。それについては過去記事を参照ということでお願いします)


ーーーー過去記事


2,外発的動機づけ【モチベーション】


これは完全に個人的な問題なのですが、

モチベーションの形が変わってしまったのも要因の1つかなと感じています。


モチベーションには2種類あります。


・自分がやりたくてやる内発的動機づけ

・周りに求められてやる外発的動機づけ

です。


例えば、趣味でやってることは内発的動機づけです。

自分がやりたくてやってることですからね。


それに対して外発的動機づけは、

誰かに言われたりなど「環境に強いられる形」でやっていることです。


・食費を稼ぐために働く

・お金が欲しいので物を売る

など。


僕も本来、ブログもプリチャン も誰かに言われてやってるわけではないので、ただの趣味です。

つまり、内発的動機づけです。


しかし、僕の中でいつしか、

「プリチャン を見るという行為はプログを書くためのモノだ」

という認識ができてしまいました。


これでは外発的動機づけです。


内発的動機づけによるモチベーションは無尽蔵にやる気を与えてくれますが、

外発的動機づけは、何かの報酬がないとやる気が出ません。


当然プリチャン を見たところで報酬はありません。

そのせいでPCを立ち上げてdアニメストアを開くという簡単な動作すらできなくなってしまっているのでしょう。


どうすれば見る気になるか


上で挙げた問題に対する解決策を挙げるとすると、以下のようになります。


・自分でアニメを切ることでツァイガルニク効果を発揮させる

・習慣化することでモチベーションがなくても見られるようにする


ツァイガルニク効果は、一言で言えば

「中途半端に終わったから続きが気になる」

というモノです。


なので、わざと前半Aパートだけ見て残りは明日とかにすれば、続きが気になって翌日も見るでしょう。


その時に後半Bパートと、次の回の前半Aパートを見ればループを回せるようになるはず。


次に習慣化ですが、

習慣になった行動は感情がなくなります。


呼吸とか瞬きをめんどくさいと思う人は少ないと思いますが、それは呼吸とか瞬きが習慣化しているからです。


毎日朝10時にはプリチャン!を見るみたいに決めてしまえば、「めんどくさい」とか「見たくない」みたいな感情を挟むことなく動き出すことができるはずです。


習慣の作り方に関しては以下の記事で


ーーーー過去記事


まとめ


ここまでで考えてきたとおり、僕はプリチャン を見る気が起きない原因は

1話完結型のスタイルというのが大きいのではないかと思いました。


もしできるならば、例外的に2話完結だった回の視聴率とか調べてみたいですね。


というわけでこの辺りで終わりです。

キラッと☆

参考書籍

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか (講談社+α文庫)

きれい事を語った人間の末路