アニメの見方「アニメを4つの層で捉える」

目次

作品の見方

①スポンサーに対する説明

②観客に対する説明

③スタッフに対する説明

④自分に対する説明

例としてのプリパラ 

前回


ご挨拶

こんにちは。なめです。挨拶もそこそこに、早速参りましょう。

作品の見方

アニメに限らず、世の中には様々な『作品』があります。マンガ、小説、映画、ドラマ、舞台、絵、アート……などなど。

しかし、そのどれにも当てはめて考えることのできる普遍的な批評方法というか、その作品の見方というものが存在します。

(アニメの見方を取り扱うシリーズなので、むしろ何故今までこれをやらなかったのかという感じですね)

参考:

岡田斗司夫さんという元アニメプロデューサーの授業が今回の出展です。

彼いわく、作品について考える時、それは4つの層に分けることができるそうです。
その4つとは①スポンサーに対する説明②観客に対する説明③スタッフに対する説明④自分に対する説明です。
ちなみにこれら4つは、①と②はお客向け③と④は身内向けという分類がなされます。

それも含めて次の項目から、ひとつずつ掘り下げていきます。

①スポンサーに対する説明

まずスポンサーに対する説明です。これは、「これはこういう作品です」というコンセプトを語るという層です。
何故そんなものが必要なのか? という話ですが……ネットでのアマチュア活動(例えば『小説家になろう』など)は除きますが、作品を作るのにはお金がかかります。

小説やマンガを出版するにしても、アニメを放映するにしても、作品を形にして世に出すというのはお金がかかります。
1クールのテレビアニメを制作して放送するのに、たしか1〜3億円くらいはかかったはずです。とてもそんな莫大なお金は個人で用意できません。

そこで、お金を持っている企業にスポンサーになってもらうことでその問題を工面しようというわけですね。
なので、スポンサーには、「この作品はどういうモノで、どの程度売れると思うか?」というのを伝える必要があります。
そのための層が、①です。

②観客に対する説明

観客に対する説明とは、『この作品のテーマは何か?』ということです。
まずスポンサーに対する質問と何が違うのか? ですが……スポンサーに対する説明というのは、作品の見たまんまを話せばOKでした。なぜなら、『スポンサーはアニメを見られないから』です。

アニメのスケジュールはとてもタイトで、今週のを放送しながら再来週のを描くみたいな自転車操業で成り立っています。(実際はもう少しマシだとは思いますが)

アニメが完成してからスポンサーに見てもらって……なんて余裕はまずありません。彼らがアニメを目にするのは、それが放送される時。即ち、視聴者と同じタイミングで見る事になります。

一方で、アニメ視聴者にはじっくり作品を見る時間も考察する時間もあります。なので、視聴者に対しては『ちょっと考えないと分からない』ようなテーマを出すことで、作品としての深みを与えることができます。

その方が視聴者的にも「そうか! このエヴァという作品はウルトラマンの系譜なんだ!」みたいにカテゴリー分けしやすくなりますし、
深みが出れば出るほど、熱心なファンも増えます。商業的に成功するためには、この辺りまでは最低でもやる必要があります。
ここまでの①②が、お客さん向けの層です。

③スタッフに対する説明

ここから先の③④が、身内向けの層となります。
身内というのはつまり、制作スタッフのことです。
スタッフに対する説明とは、「この作品は、俺たち私たちのこういうところを主張している! だから作らなければならない!」という意味付けです。

何故こんなものがいるのかと言うと簡単で、作品を作るというのはものすごく手間がかかる事だからです。

小説という文字だけで書けて、一人でも作れる作品形態ですら、良いものを作ろうとすれば莫大な時間と手間がかかります。

ましてやアニメなんかは、「作画崩壊w」などと騒ぎ立てる不届き者(僕もその不届き者の一人です……)が出てこないようにクオリティを保って絵を描き、
絵に対して声や効果音がズレないように注意し、
予定通りに製作が進まなかった場合やスポンサーの都合によってシナリオを変更しなければならなくなったりなど、
はっきり言って正気ではとてもやってられない作業です。

そうやって苦労して作り上げたとしても、ヒットするとは限らない……。ヒットしたとしても、金になるかは分からない……。
そんな状態でアニメを作るには、「この作品はこういう理由で今の世の中に必要だ! だから作らなきゃダメなんだ!」という強い理由がいるのです。

④自分に対する説明

自分というのは、監督のことです。アニメという媒体では、面白くなるかは監督の力量次第という面が大きいです。
それだけ監督の力が及ぶということは、監督の作業量も多くなります。すると、③と同じような理由で、時々「やってられるかぁ゛ぁ゛!!」と、やめたくなってしまってもおかしくありません。

だからこそ、何のためにこの作品を作るのか?という意味が必要なのです。
じゃあ③と④同じじゃんって話になるんですが、若干違います。それは、③はスタッフ全員で共有した意義であって、④は監督一人が持っている意義です。

何故スタッフに言わないで、監督だけで隠し持つんだ? と思うかもしれません。理由はシンプルで、作品というのは基本的に『最終的な決定を個人で行わなければ駄作になりやすい』からです。

僕はテレビをあまり見ないのですが、バラエティー番組とか、あるいはドラマとかって一度くらいは見たことがあります。それで思ったのですが……

あれ、『面白い』ですか?

多分面白くないですよね。テレビを面白いと思ってたら、ネットなんてやってないはずですし、こんな記事を読んだりしていないはずです。
テレビの大部分が面白くない(もちろん面白い番組もあります)理由は『作品の最終決定を大勢でやってるから』です。

アニメでいうところの製作委員会、いわゆるスポンサーですね。
例えばバラエティー番組とかで過激なことを言おうとするとこうなります。


監督「次はこういうテーマでやりたいです!」

スポンサー1「えぇ〜。でも過激すぎませんか?」

スポンサー2「炎上とかされるのは困りますよぉ……。うちの商品のイメージ悪くなっちゃうじゃないですか」

スポンサー3「ウチの商品をよく映してくれれば何でも良いです(^。^)」

監督「えっ……でも、これからはこういうトピックにも触れていかないと視聴率が……」

スポンサー1「いやいや、昔はそれでも充分取れてたでしょ」

スポンサー2「あなたの実力不足では? なんなら『監督を変えてくれ』と局の方に言っても良いんですよ?」

スポンサー3「ウチの商品をよく映してくれれば何でも良いです(^。^)」

監督「わ、分かりました……」

少し悪意をもって書きましたが、何も『スポンサーは悪だ!』などと言いたいわけではありません。彼らがいなければ、そもそも番組は作られてませんから。

しかし、スポンサーというのは尖ったことをしたがりませんから、監督の中では「これだ!」と決まっていても「やめてくれ!」と言われてやめたしまうパターンはよくあると思うんですよね。

だからこそ監督は、その作品で描きたいと思っている最大のテーマを隠し通し、最後の決定権を自分に委ねなければならないのです。

例としてのプリパラ 

http://pripara.jp/

概論だけを話しても分かりにくいと思います。ですので、今回は『プリパラ』を例に挙げて、上の4つを当てはめて考えていこうと思います。

①スポンサーに対する説明

これは簡単で、「女の子がアイドルになる話」です。スポンサーであるタカラトミーアーツシンソフィアとしては、「視聴者がプリパラをやりたくなればOK」なので、充分通ると思います。

②観客に対する説明

これは、僕個人の考えとしては「プリパラでたくさんのトモダチを得た少女が、トモダチを持たない少女にトモダチを与える話」であると思います。

らぁら自身が元々友達が少ないと思うんですよね。というのも、らぁらの実家は『パパのパスタ』というイタリア料理店です。
で、常連客の様子からして、らぁらは普段からよく店を手伝っていることがわかります。

よく店を手伝っている=よく家にいるということなので、日常生活における行動範囲はほぼ家ということになります。

大体家にいるからこそ、仲が良いのも家が近所で幼馴染の愛媛なお。これは必然というわけです。

しかしそれは、裏を返せば、なお以外に親密な友達はいない『半ぼっち』とも言える状態です。

そんならぁらがプリパラ でアイドルになり、たくさんのトモダチができて、有名なアイドルという『スーパーリア充に転身します。

そしてらぁらや、らぁらに影響された人々が、物語を通してたくさんの人を救っていきます。
1期ではファルルを。2期では紫京院ひびきを。3期ではジュリィ(ジャニス)を。

元ぼっちである真中らぁらが、『同じようにぼっちな少女を救済する物語』というのがプリパラの全シーズンを通してのメインプロットなのです。

だからこそ、②は「プリパラでたくさんのトモダチを得た少女が、トモダチを持たない少女にトモダチを与える話」であると思います。

③スタッフに対する説明

ここからは完全に憶測です。あまり当たっている自信はないのですが、これは「み〜んなトモダチ、み〜んなアイドル」ではないかと思います。

トモダチというのは、友達と同じニュアンスであり、その意味するところは『対等な存在』です。

み〜んなトモダチという言葉の意味は、「誰もがみんな対等であり、誰が上とか下とかそういう序列は必要ない」ということであり、
「制作スタッフが視聴者より偉いわけじゃない。逆に、視聴者が制作スタッフより偉いわけじゃない」ということです。

そしてアイドルというのは『権威を持つ存在』であり、はやい話が重要人物のこと。

「監督が一番偉いわけじゃない。アニメーターも脚本家も演出家も、誰もが皆、同じように大切な存在なんだ」とか、
「自分たちはアニメなんか作ってる日陰者だけど、だからといって卑下するような存在じゃない」といったような意識が含まれているのではないでしょうか。

だからこそ、みんながトモダチであり、アイドルであるのです。

④自分に対する説明

手元の情報が少ないのでなんとも言えませんが一言でいえば、「ルールを壊してルールを作る」ではないでしょうか。

森脇監督は、大学を休学して上京し、そのままアニメの世界に入りました。さらっと書いてますが、大ごとです。休学して就職してしまうというのは、なかなか行動力があります。

4年間大学に通って、卒業して、就職して……という画一的な流れに逆らおうとしたのではないか、と僕には思えます。
プリティーリズムの3作が、

オーロラドリーム(やや年齢層高め)

ディアマイフューチャー (年齢層中ぐらい)

レインボーライブ (年齢層高め)

という変遷を辿って来ています。

であるならば、これから先も対象年齢が上がり続けるだろうと予測するのは難しくあるません。

森脇監督は、その流れを変えようと思った。だからこそ、『シリアスに重きを置いたプリティーシリーズ』という流れに、『ギャグに重きを置いたプリパラ』を持ち込んだのではないでしょうか。

それはきっと、「奇抜なことをして目立ちたい」とか、そういう感情ではなくて「自分がルールを壊すことで、後に続く人が自由にやれるように」という、自分より後ろの存在を思ってのことでしょう。

作品が作り手の人柄を表すのならば、森脇監督はかなりエキセントリックな方だと思います。現在の日本社会は、そういう人間に対して冷たい視線を送りがちです。

そういった中で、彼女はある種の閉塞感を感じていたのかもしれません。そしてその時の抑圧された感情が、現在の作風に繋がっているのかもしれないですね。

締め


今回は作品の見方についてご紹介しました。作品を4つの層に分割することで、批評をしやすくなり、作品を見る楽しみが増す事でしょう。
作品は作るのも楽しいですが、見るのも楽しい。改めてそう気づけました。

それにしても、アニメの見方と銘打ったシリーズとしては、過去最高レベルに有益な記事になったのではないかと自負しております。

今後もさらに高いクオリティ……は保証できませんが、少なくとも、劣ることのない情報密度でお送りしたいと思っております。
では、また次回。近いうちにお会いしましょう。

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