ジャンルが豊かになるためには駄作が必要だ!

(※画像、およびリンクの作品に深い意味はありません。本当です)

今回のタイトルは「駄作が必要」だが、この言い方は誤りであることを最初に明記しなくてはならない。

駄作があるというのは十分条件であり、必要条件ではない。

スタージョンの法則

スタージョンの法則というのがある。

これはセオドア・スタージョンという作家が言った言葉とされている(諸説ある)。

内容は「SFの90%はカスである」というものだ。

この言葉が引用される際は主に「90%はカスであるけれど、残りの10%はとんでもない傑作だ」というニュアンスで用いられる。

言い換えると、「10%の傑作が生み出されるには、90%のカスが必要」という事になるだろう。

この理由についてはWikipediaに詳しく記述されている。

他方で、「一定の名作を生むジャンルには、常に多量の駄作がある」という風に言い換えることもできる。例えばゲーム業界であれば、名作ゲームの影には常に大量の駄作ゲームがあるということになる。多量の駄作の存在は、それらを受け入れる市場の存在を前提にするが、それが存在しないジャンルは名作を生み出せない。そのような駄作は、駆け出しの制作者の修練の場でもあるからである。それを失ったジャンルは、後継者を失って先細りになりがちである。

スタージョンの法則 - Wikipedia

つまり「駄作でも買ってくれるお客さんがいないと、野心的な事はやれない」ということだ。

駄作は基本的に

  • 新人の習作
  • 野心的な挑戦作
  • 本当に手を抜いて作った擁護できないカス

の3種類。

一番最後のはともかく、上2つは切実な問題である。

たとえ才能のある新人でも、やはり実戦経験がないと上手く行かない事もあるはずだ。

やはり経験に勝る学習はないだろう。

そして、生み出された駄作とは、そういう新人の教育が行われた結果なのかも知れない。

野心的な実験に関しても同じだ。

今までにない表現を追求したとしても、それが客にウケるかは分からない。

スベるだけならまだしも、ひょっとしたら反感を買って抗議の嵐に飲まれるかも知れない。

だが、踏み込んだ実験には、必ず反発する人々も出てくる。

そして実験がなければ、表現の進歩は止まる。

たとえ駄作を掴まされたとしても、次回作が面白くなるのなら、それはそれで報われるのかも知れない。

作り手も、受け手も。

これらを考慮すると、ある程度駄作が生まれてしまうのは仕方のないことかも知れない。

新人の練習や、野心的な実験の場がなくなってしまえば、将来の傑作を手放してしまうことになりかねないのだから。

……まぁ、正直私たちの金で練習や実験されるのも勘弁して欲しいのだが。

駄作に優しく

私は結構、駄作に厳しい立場を取ることが多かった。

しかし、その考えも改める必要があるかも知れない。

ちょっとだけな。

あんまり甘やかすと、駄作で金稼ごうとか思う輩が現れる可能性だってある。

しかし、キツくしすぎるとそもそも作品自体が生まれない。

この辺の問題はとても慎重に対処しなくてはならない。

私はゲームを買ってプレイする時、可能な限りクソゲーを避けてきた。

だが、今日からは違うだろう。

昨日よりも少しだけ、クソゲーに優しくしよう。

なるべくお金を落とそう。

それが、この業界を生きながらえさせる術なのだから。

そしてそれこそが、自分の人生を豊かにしうる付き合い方なのだから。

そう思った。

まぁでもメルカリで買うけど

クソゲーなんかにフルプライス出さねえよ!

マキマ=林士平説 チェンソーマン

Amazonより

以前(https://bokutere.com/?p=1684チェンソーマンを作者である藤本タツキの人生の反映として見ることを語った。

今回はその延長線上の話となる。

結論から言うと、マキマ=林士平と捉えることもできるのかなと感じたという話だ。

まず前回のおさらいだ。

2巻は基本的にこのメンバーで話が進行していくのだが、この構造が面白い。チームリーダーと部下の関係性が、ジャンプ編集者とマンガ家に見えるのだ。

(中略)

姫「アキくんのとこの新人(作家)はどう?」

ア「こいつは上手いなと思ったヤツもそうでないヤツも 1年もあれば死ぬ(引退)か民間(同人)に行きます」

作者の個人的な物語として見る【アニメの見方】より

公安には編集者的な性質を持つ者が居て、さらに、作家的な性質を持つ者が居るという見方も出来るというのが前回の話しだった。

(まあこの理屈のガバガバ加減については自分でも重々承知だ。「マンガ家=セルフプロデュース出来ない前提ですか?」とか「作家(新人)として入ってきたヤツが編集(リーダー)になるってどういうことですか?」とか突っ込まれたら返す言葉もないのだが、ここではご勘弁願いたい)

それを踏まえて、公安は集英社という認識で話をすすめよう。

マキマは編集者

この場合、マキマは作家と言うより編集者側の存在だ。

作家を縛り労働させるという数々の逸話と、マキマの所行には重なる部分がある。

マキマは主人公デンジにとって特別な存在だ。

ただ漂っていたデンジに住む場所を与え、仕事を与え、家族を与えた。

デンジにとってマキマは母のような存在と言えよう。

これはマキマという名からも明らかだ。

というか、作者自らが言及している。

(※チェンソーは木を切る道具。マキマはマ木マ。木を切るとママ、というヤツだ)

で、色々と与えた見返りとしてデンジを飼い慣らしていくわけだが……

この姿勢は編集と漫画家の関係に近い。

バクマン。などでも描かれていたことだが、編集者はマンガ家に家を買わせ、結婚させ、趣味を持たせる。

そうすると金銭的に働かなくてはならなくなり、ますますマンガに精を出してくれるという算段だ。

この点からも、マキマが編集側であるというのは信憑性を持つ。

マキマの正体

ではマキマは誰なのか?

答えは明白なのかも知れない。

創作物において、基本的に作者は主人公かライバル(ラスボス)に自己投影するケースが多い。

そしてデンジの「だからよぉ」とか「俺ぁよぉ」とかいう口調は、作者である藤本タツキと同じ口調だと言われている。

このことからデンジ=タツキと考えてみる。

すると、どうなるか。

デンジの上司であるマキマは、彼を絞り、仕事を与える。

ときには相談に乗り、アドバイスもする。

つまり、デンジの編集はマキマだ。

デンジ=タツキという事は、マキマはタツキの編集でもある。

となると……マキマとは、タツキの編集である林士平ということになる。

林士平と藤本タツキ

林士平は、タツキがデビューした頃からの担当編集だ。

それどころか、タツキが高校生の頃はじめて持ち込みを行った際、対応したのは林だった。

林はタツキがデビューする前からタツキを見てきて、そしてデビューした後もタツキを見ている。

林はタツキが未成年だった頃から、タツキのことを知っている。

タツキも少年だったころから林という編集者を見てきた。

互いに気心知れた関係。

それはもはや、単なるビジネスパートナーと言うより友人や家族に近い。

タツキにとって林は子供の頃から世話になっている相手だ。

親や兄弟のように思っていてもおかしくはない。

そのような感情がマキマというキャラクターを作る際に、無意識的にでも反映されていたなら面白い。

林士平が契約したモノ

さて、マキマ=林士平説について語ったわけだが、

マキマ=林士平と考えると、ひとつ気になることがある。

マキマは劇中で、日本政府と契約していた。

では、林士平は何と契約をしているのか?

集英社だろうか?

いや集英社は日本と言うより公安だろう。

公安より大きく、かつ公安が属している国家日本……

それはひょっとすると「(日本の)マンガ界」そのものかもしれない。

現に林士平が主に行なっているのはジャンプのフォーマットでアフタヌーンみたいなマンガをやるという手法だ。

林士平はジャンプの編集者だが、ジャンプに忠誠を誓っているワケではない。

彼はマンガ界そのものに忠誠を誓っているのだ。

現在、ヒット作とされる作品群の中には林士平の担当した作品が多い。

林士平はこれからもヒット作を生み出し続けるだろう。

マンガ界との契約をもってして。

余談

とはいえ、林士平はマキマと決定的に違う。

林士平は作家のことを思いやり、作家のことを一番に思ってくれる。

ミリオンタッグでもそんな場面が何度かあった。

【賞金500万&アニメ化】オーディションに参加する漫画家がついに決定!!【ジャンプ+】 - YouTube

↑もし私が担当だったら、ここまで辛抱強く作家と向き合えるだろうか……なんて思ってしまった。

無論、林士平を含むあらゆる編集者は慈善事業でやっているわけではない。

作家を上手く使い、ヒット作を出させる事が究極的な目的だ。

作家と編集は仲間であると同時に、利用し合う存在でもある。

その意味において、マキマと林士平のやっていることは、同じなのかもしれない。

ただ、一つ言えることがある。

それは「マキマさんよりも林士平の方がいい男!」ということだ。

ウホッ

デスゲーム系を「チープだ」と感じる理由の一つについて トモダチゲーム

(※この記事で取り上げるのは理由の内のひとつでしかありません。

なお、ここで書かれる内容は全て私の個人的な主観でしかない事をここに明記させていただきます)

物語にはいくつかの型がある。

その中でもかつて支配的なまでの力を見せたジャンルがあった。

それがデスゲーム系である。

ソース画像を表示
https://abema.tv/channels/abema-anime/slots/97vCVtk7hVhzqVより

4月5日に「トモダチゲーム」のアニメが放送開始した。

一応あらすじを書いておくと、こんな感じだ。

ーーー

主人公、片切友一は貧困に喘ぐ高校2年生。

バイトでなんとか生活費を稼ぎながらひとり暮らしをしている。

そんな彼にとって、修学旅行の代金7万円を用意するのは簡単ではない。

やっとの思いで7万円を稼ぎ、無事提出した方切。

しかし、翌日、クラス全員が提出した修学旅行代金およそ200万円が盗まれてしまう。

その後、なんやかんやあってデスゲーム。

ーーー

最後は投げやりだが、まぁ気になる方はぜひ原作を読んでみて欲しい。

トモダチゲーム - 原作/山口ミコト 漫画/佐藤友生 / 【第1話】あれ? 友一君は友達を疑ってるの? | マガポケ (shonenmagazine.com)

ただ、この記事を読むための知識は上の情報だけで事足りる。

さて、ここからは率直な感想を述べよう。

私はアニメの第一話を偶然目にした。

その時に感じたのが「ああ……なんてチープなんだろう」という感想であった。

これはアニメの話だけではなく、ピッコマかなんかで原作を読んだ時にも感じた事だった。

キャラの紹介をベタ打ちの文章で表してしまう所とか、テンプレ的な困窮描写とか、そもそも200万の大金を生徒に管理させるなよとか色々ツッコミどころはある。

が、それらはほんの些事でしかない。

この作品の第一話において最もチープだと感じたのは「修学旅行費が盗まれたという展開」そのものだ。

金八先生で泣くヤツはもう居ない

修学旅行代金が盗まれた。

このイメージの元となっているのは、おそらく給食費盗まれた、だろう。

給食費盗まれた!」

「お前が盗んだんだろ! 貧乏だから!」

「違うよ……! そんな事してないよ……!」

みたいな展開はもうお約束というかテンプレだ。

給食費と修学旅行費は全く別物だが、物語上における機能はほぼ同じである。

つまり、「代金を払えるだけの経済力があるかどうか」を表す指標となるのだ。

なので、そのエピソードで貧乏キャラをメインに立たせたい場合には多用される。

(あるいは貧乏ではないのに盗みを働き、「なぜそんなことを?」という追求につなげたり、9.11以降の「理由なき悪意=個人的テロリズム」の描写につなげたりもできる)

ことトモダチゲームに関しては従来の使い方である、貧乏エピソードとサスペンス要素の加速にあてている。

しかし、だ。

どうもここに違和感を覚える。

作者が意図したであろう導線にうまく乗れない。

深刻さや引っ掛かりを覚えて欲しいところのはずなのに、なぜかスルリと抜けるというか……なんだかガクッと力が抜ける感じがする。

これが何故なのかと考えていた時に、漫画学校でジャンプ編集部の林士平氏が言っていた言葉を思い出した。

「泣かせるための死亡シーンがチープにならないためにはどうすればいいですか?」

林 チープという感情は「見たことある」から生まれて、その回数が多いほどチープになるんだと思います。だから演出や言葉や構成が、他の多くの作品にもあるかどうか。定番過ぎる「死亡フラグ」は、もはやギャグですよね。でも、しっかり関係性までを描いたキャラクターの死が周囲に与えるドラマ、それ自体はチープにはなりにくい。それをどう見せるかだと思います。

ジャンプの漫画学校講義録⑧(https://jump-manga-school.hatenablog.com/entry/08)より

死亡シーンとは少し違うのだが、本質的には同じことが言えると思われる。

トモダチゲーム側としては、この問題について重みを感じて欲しかっただろう。

が、この手の給食費盗まれた的な展開はもう何十年も前から擦られまくっている題材だ。

実際、かまいたちのコントでもこれを題材にしたネタがある。

つまり、(本当は良くない事ではあるのだが……)「給食費盗まれた!」はもはやギャグなのである。

それを無理やりシリアスな場面に持ち込んだ結果、とてもチープな印象を受けてしまうのだろう。

少し違うが、金八先生にも「給食費を払えなくて発生した問題」について触れる回がある。

当時はそれが切実な問題として扱われたのかも知れないが、今はもうそうではない。

金八先生で泣くような人は流石にもう居ないだろう。

デスゲームもまた然り

さて、「繰り返されるほどチープ」という林士平氏の言葉だったが……

これはまさしくデスゲーム系というジャンルそのものにも言える事ではないだろうか?

そもそもデスゲーム系(≒バトロワ)が隆盛を極めたのはゼロ年代だ。

バトルロワイヤル、カイジGANTZ仮面ライダー龍騎……そしてデスノート

(※デスノートwikiによるとデスゲーム認定されていなかった。そう言われると確かにデスゲームとは若干違う気もする。が、ここでは一応入れておく。デスゲームとデスノートって語呂もいいし)

この背景には激化する受験戦争やホリエモンなどリバタリアン(簡単に言えば「お前が不幸なのはお前が悪い」という自己責任主義)の台頭があると言える。

そういう「やらなきゃやられる!」みたいな空気感が蔓延していた時代だったからこそ、デスゲームは世の中に受け入れられたし、あれだけの数が濫造された。

しかし、裏を返せば、視聴者はそれらを浴びるように見てきた訳だ。

となれば、デスゲームという題材自体が既に何度も繰り返されている事になる。

そのために、デスゲーム系は、もはや果てしなくチープな作品群となっているのではないか。

実際、ハライチのネタでもデスゲームを題材に(以下略)

トモダチゲームとの付き合い

私がトモダチゲームを始めて読んだのは高校生の頃だ。

なので多分、2015年くらいだと思う。

連載が始まったのは2014年なので、おそらくちょうど人気が出てきた頃に読んだ気がする。

……「くらいだと思う」とか、「気がする」などと曖昧な表現をしているところから想像がつくかも知れない。

私は正直、この漫画を面白いとは思わなかった。

私もゼロ年代に少年時代を送った者として、この手のデスゲームは正直見飽きていた。

そしてスマホの中にもピッコマ以外にマンガボックスやマンガワンなども入っていた為、程なくして読まなくなった。

で、2022年。

「高校生」だった私も今や立派な「無職(今年の3月で大学を卒業した)」となった。

そんな実家暮らし無職たる私が再び見たトモダチゲームは、果たしてあの頃のままであった。

そして、トモダチゲームを見た私の感想も、あの頃のままだった。

成長していないのだろうな。私も。

スペースの良い点についてとやっぱり問題点について

前回の記事(スペースという「強いつながりを強要する」SNSのカタチ | プリティー心理ズム (bokutere.com))でスペースに対する率直な感想を述べさせていただきました。

その内容はほぼほぼ批判点だったワケですが……

このスペース、全てが全て悪いわけでもありません。

良い点もあると思います。

今回はそれについて短く掘り下げようかと思います。

政治ツイートに見るTwitterの限界

今やTwitterは有名人叩きと政治的ツイートの温床となって久しいと言えます。

もちろん、中には政治や経済や社会問題に対して誠実な姿勢で向き合い、その結果発せられたツイートもたくさんあります。

とはいえ、それを遙かに上回る量の罵詈雑言が飛び交っているのも事実。

正直見るに堪えないのですが、これは一概にツイート主のせいとも言い切れない側面があります。

ご存じの通り、Twitterは個人のつぶやきを投稿するサービスです。

それが故に、短文(140文字)での投稿にしか適していません。

そして短文で投稿を余儀なくされれば、枝葉の部分をそぎ落とす必要があります。

たいていは修飾語や副詞を消し、言い換えや略称が使えるモノは使い、最終手段としてメモアプリにベタ打ちしたスクショを貼り付けます。

まあ最終手段を使えばある程度は解決できるとは言え、文字数の問題が完全になくなったわけではありません。

Twitterというのはその性質上、どうあがいても短い言葉で話をまとめなくてはならない。

そして短くするということは、その分の説明を省くということです。

説明を省くとどうなるかというと「解釈の幅=書き手と読み手間のギャップ」が生じます。

小説などの作品では、この解釈の幅というのはとても大事にされます。

この幅が広ければ広いほど、その作品が内包できる多様性が増すからです(男にしか共感できない作品だと男にしかウケないが、男も女も共感できる作品はもっとたくさんの人に訴求する)。

しかし、ことTwitterにおいて、この幅が逆に良くない作用を起こしています。

Twitterはあくまでも「情報を伝達するメディア」なので、解釈の幅なんて必要ありません。

というか、逆にあってはならない。

(※ただし、「情報伝達を目的としたコミュニケーション」においてのみ。そうでない日常ツイートなどは行間に風情を込めることで味わい深くなる。そういうツイートは私も大好きだ)

にも関わらず、Twitterには字数制限があります。

そのために最小限の文字数でムダのない投稿をしなくては成りません。

そしてその結果、多様な解釈が生まれ、情報にブレが出来てしまう。

なぜなら、深く説明しないというのは「自分で考えてね」ということであり、「自分で考えてね」というのは相手に解釈を丸投げすることでもあるからです。

相手と自分の間に共通する前提知識やバックボーンがあれば、このような以心伝心は可能でしょう。

が、それを画面越しの名前も声も知らない相手に求めるのは、かなり無理のある話ではないかと感じてしまいます。

そしてそういう元々無理なことをやろうとしているからこその、政治ツイートの阿鼻叫喚なのではないでしょうか。

そう考えると、これはTwitterが抱える根本的な問題であると言わざるを得ません。

対抗策スペース

おそらくTwitter社自身も、この問題について意識していたのではないでしょうか。

だからこそ、その対抗策としてスペースをリリースするに至った……という風に思います。

理由は簡単で、「情報伝達を正確に行うには、音声コミュニケーションが最も適しているから」でしょう。(まぁ一番良いのは音声+資料とか複数の媒介による伝達でしょうが)

音声によるやりとりなら、相手との共通する背景を引っ張り出して会話にねじ込む事も可能ですし(相手が野球好きだと分かったら、野球で例えたりして伝える)、相手が腑に落ちないような態度を取っていれば補足して説明すれば良いですし。

スペースの利点は、Twitterが抱える構造的欠陥を上手いことカバーできる形になっていると感じられます。

スペースは状況を打開し得るか

ではスペースによって状況は良くなるか?

まあならないでしょう。確実に。

前回でスペースのデメリットは話しましたのでここでは割愛しますが、

スペースは知り合い同士で話すことがほぼ前提となっています。

見ず知らずの人にケンカをふっかけて回る勇気のある人は別ですが、基本的には自分と近しい思想を持った人と会話することになると思います。

という事は、自分の意見に対する反対意見が出てきにくいので、自分の思想がより強化される結果となるでしょう。

そうなれば自分の意見に対して確固たる信頼を置くようになり、対抗意見に偏見を持ち、ヘンケン・ベッケナーです。

次回「レコアの気配!」 君は、刻の涙を見る。(画像https://dp00013984.shop-pro.jp/?pid=63401339より)

分断された世界

世界は今、大きく分断されてしまっています。

男と女、老人と若人、金持ちと貧乏人。

その原因のひとつにTwitterなどのメディアがあるのは間違いありません。

自分と同じ思想の人間のツイートだけを検索してほくそ笑む。

逆に反対意見の人間をミュート/ブロックして精神安定を図る。

分かります。

私だって同じ事をしてしまうときがありますから。

しかし、そんなことでいがみ合っている時ではない。

私たちには解決しなければならない大きな問題がいくつもあり、

それはとてもひとつの勢力だけで解決する事ではないのです。

人類はひとつにならなければならない。

そう、人類補完計画のように。

5日前

前回の記事にて

今の世界は、限りなく人類補完計画後の世界に近い状況になってしまいました。

もはや「他者とどう繋がるか?」は問題ではありません。

「どうやって繋がりすぎた世界を切り離すか?」が問題なのです。

スペースという「強いつながりを強要する」SNSのカタチ | プリティー心理ズム (bokutere.com)

嘘つきは

泥棒の始まり……

ってね。

何を盗んだかって?

良い質問だ……。

それはね奥さん。

あなたの

「♡(こころ)」

    ですよ。

大場つぐみ「……」

うぐぅっっ???????

ふぎっぐっ

ぐっ ぶっ ぶっ ぼっ……

なめ「……」
母「なめ〜ご飯よ〜」
母「……なめ?」
なめ「……」
母「……! こ……こいつ」
母「……死んでいる……!」


一八八九年 2月7日

なめサン・ジョースター

死亡

前回

オチが意味不明な方はコチラをご覧ください。

「ああそういうことか。くっだらね」と尻から屁が出ると思います。

スペースという「強いつながりを強要する」SNSのカタチ

ソース画像を表示
https://twicolle-plus.com/articles/622230より

 人は人とつながって生きている。

これは誰も覆すことのできない絶対的な原則と言って良いでしょう。

私たちが住む家も、食べるものも、着る物も、すべてを自分で作っている人はいないからです。

(※もしかしたら居るかも知れません)

人は必ず誰かと関係性を持ち、生きていきます。

その関係性が強いにせよ弱いにせよ。

 今回テーマとして触れるスペースは、まさしくその問題について考える良いキッカケになると思います。

スペースとは?

 そもそもスペースとは何か?って話ですが、早い話が「電話」です。

Twitterの機能の一つで、ルームという仮想の部屋を作り、その中で行われます。

ルームではスピーカー(発言者)がひたすら喋り、それをリスナー(聴者)が聞く。

なお、ルームを作った人はリスナーをスピーカーに指定することもできます。

そうするとスピーカーが2人に増え、2人の会話をリスナーが聞くことになる。

(※ちなみにスピーカーは最大10人まで存在できるそうです。これもう人にもの伝えるってレベルじゃねえぞ!!)

まぁ説明を読んでもよく分からないと思うので、ぜひ試しに一度やってみてください。

……とは決してオススメできないのがこのサービス。

なんとスペースは非匿名のサービスなのです。

Twitterは匿名利用が可能なサービスなのに)

スペースではルームに入った人の名前が表示されます。

なので、ウッカリ仲の悪い人のルームに入ってしまうと「おい……テメェ何入ってきてんだよ?」と思われてしまうリスクがあります。

過剰なまでに繋がりを強いるメディア

 スペースは基本的に他者と繋がることを強いるメディアだと考えています。

その理由は他にもありますが、ここであげるのは2つです。

①自分の身元がバレる

②リアクションが乏しい

 まず、相手の話を聞くには自分の身元を明かす(ハンネを晒す)必要がある点。

スペースが匿名なら、たとえ自分が話を聞いていたとしても、スピーカーからは聞いている人が居るか分かりません。

それを利用して、ひたすらコメントもせずに聞き耳を立てることが可能です。

俗に言う潜伏です。

 しかし、スペースだと潜伏ができません。

それどころか、相手が自分のことを知っていた場合、「〇〇さんも入ってきなよ〜!」と言ってスピーカーに指定されることも考えられます。

仮に無視を決め込んで「スピーカーにはならないぞ……」という意志を見せたとしたら相手は「コイツなんで入らないんだよ……(半ギレ)」みたいな事になり、関係性に亀裂が入るかも知れません。

もしスピーカー指定されなかったとしても、なんのリアクションもせずボーッとしてたら「コイツなんでリアクションしないんだよ……(半ギレ)」みたいな事になり、やっぱり関係性に亀裂が入るかも知れません。

そういう、いかにも「ウチら“ずっ友”ぢゃん?卍」「“友達”は“いいね”する“モン”っしょ」「“不運”と“踊”っちまったんだよ……」みたいなリア充的世界観に馴染めないからこそTwitterをやっている。

なのに、なぜそんなことに巻き込まれなければならないのか。

(※名前が公開されるのは悪質なユーザーが入ってくるのを防ぐためというのも考えられます。

が、まぁそれだとあんまり面白くないのであえて極端な解釈をした上でお話しさせていただいています。ご了承いただけると幸いです)

 そこに追い討ちをかけるのが「リアクションの乏しさ」です。

スピーカーに指定されようが、スピーカーになるかどうかは自分で選べます。

しかし、相手と意思疎通をしたい場合はどうしてもスピーカーになる以外の選択肢がありません。

なぜなら、リスナーができる反応とはよく分からない絵文字を表示させることしかないからです。

テキストでのやりとりは一切不可能。

ついに人類は象形文字へと逆戻りしてしまったのでしょうか。

たしかにスペースはTwitterのサービスのひとつです。

なら文字のやりとりはTLでやれば良い。

それはそうです。

そうではあります。

しかし、単一のサービスである以上、スペース内で完結していないのはおかしい!

……と思ってましたが、

考えれば考えるほどTLで喋れば良いので、

これについてはなんか気にならなく

なってきました。

人類補完計画後のこの世界で

 エヴァに登場する人類補完計画は、全ての個を統一し、個人の存在しない世界を目指しました。

新劇場版シリーズではその辺りについての話を展開してきた訳ですが、奇しくも現実はそれを追い越していました。

今や誰もがSNSで簡単に人と繋がれる世界。

スマホがなければ不安になり、スマホを持ってたとしても不安となる。

オンラインで繋がっているはずなのに、なぜか寂しさがつきまとう。

コロナでリアルの付き合いも減って余計にそうです。

それらを解消するために、トレンドのアニメを見、動画を見、マンガを読み、ゲームをやり、曲を聴き、映画を見、スラングを喋り、芸能人を叩き、YouTuberを叩き……

みんながしているように、自分もその流れに乗る。

意識的か無意識か、どちらにせよ、私たちの「個としての意志」は希釈され続けています。

今の世界は、限りなく人類補完計画後の世界に近い状況になってしまいました。

もはや「他者とどう繋がるか?」は問題ではありません。

「どうやって繋がりすぎた世界を切り離すか?」が問題なのです。

みたいなことを評論家が言ってました。(エクスキューズ)

 私はスペースが嫌いです。

似たようなサービスなら、断然ツイキャスやニコニコの方がいい。

もちろん自分がスピーカーなら、リスナーから反応があった方がやり易いし安心できます。

でも、そこまで強く繋げなくていい。

別に聴きにきた人全員を把握したいとは思わないし、「あ? 言いたいことあんならサシで凸って来いや」みたいなヤンキー的思考回路もしていません。

そういう胸ぐら掴んで無理やり集合写真に写らせるようなやり方じゃなく、もっと緩い、ともすれば簡単に途切れてしまうような繋がり方で良いのではないでしょうか。

これから先、スペースのようなサービスが主流になるかは分かりません。

ただハッキリ言えるのは「スペースが主流になるような世界はとても嫌だ」ということだけです。

「#〇〇好きと繋がりたい」みたいな感じのタグを見るたびに、そんなことを思ってしまう。

私はそういう人を軽蔑します。

はぁ。そういう人の気持ちが本当に分からないわ。

#日記

#エッセイ

#本音

#分かる人いいね

#分かる人リツイート

#分からなくてもいいね

#分からなくてもリツイート

#見た人もやる

#エヴァ好きならチャンネル登録

#分かりみが深い

#同思想しか勝たん

#スペースすこ

#同じこと思ってる人と繋がりたい

#えんとつ町のプペル

#てか顔やば

#え待ってマジやばたんなんだけど

#うまく盛れなかった

#まじぶすつらい

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大場つぐみ「……」

うぐぅっっ???????

ふぎっぐっ

ぐっ ぶっ ぶっ ぼっ……

なめ「……」
母「なめ〜ご飯よ〜」
母「……なめ?」
なめ「……」
母「……! こ……こいつ」
母「……死んでいる……!」


一八八九年 2月7日

なめサン・ジョースター

死亡

作者の個人的な物語として見る【アニメの見方】

Amazonより

 

前回

 あらゆる作品には作家の主観が含まれる。
個人が作っている以上、そこには制作する人間の意志が介在する。
これは絶対だ。
おそらく世界中を探してみても「私は完全に客観的に創作してます!」などという者は居るまい。
たとえ客観的な方法でサッカーマンガを描いたとしても「サッカーマンガを描こう」と決定を下したのは本人の主観に他ならない。
まぁそれはあくまでも例え話だ。
伝えたかったのはひとつ。
それくらい作品は「主観のこもった個人的なもの」であるという事だ。

 この見方は作品について考える時、とても意義深いフレームになる。
そのフレームがもたらす新しい見方は、きっとあなたの知的好奇心を刺激する事だろう。
今回はその例を紹介し、一緒に見ていきたい。


(※本記事はアニメの見方シリーズの記事のひとつとなっている。
今回のような「作品を読み解く手法」について重点を置いた記事なので興味があれば読んでいただきたい。
また、このシリーズのみで追いかけている人にとっては「え? コイツ前回と今回で口調変わりすぎじゃない? ゴーストライター?」と思われるかもしれない。
ゴーストライターではなくしっかり手動で書いているのでご安心いただきたい。
ゴーストライターを雇う金も必要もない。
むしろ誰かに雇ってほしい。
そして仮面ライターゴーストと名乗りたい)

 まずはこの作品。チェンソーマンだ。

これを読んだ後にプラチナエンドを読むと、その不幸描写があまりにも陳腐に感じてしまうという不思議体験を味わえる。



チェンソーマンの内容について一言で説明しておくと、「悪魔が当たり前に存在する世界で奮闘するデビルハンターの話」となる。
まぁこの辺は直接読んだ方が早いし、直接読んだ方が絶対面白い。
私がどうあがいてもチェンソーマン本編より面白く伝えることはできない。

プラチナエンドの不幸描写が画一的なテンプレ表現であるのに対し、チェンソーマンのそれは身に迫る等身大の恐怖として描かれるだが、何よりすごいのは、そのような過酷な運命にめげるでも立ち向かうでもなく、ただ共存しているデンジの姿勢である。一見の価値は間違いなくある。



↑第3話まで無料。

さて、今回注目するのはチェンソーマン2巻だ。
2巻にて登場人物が一気に増える。
この巻で主要キャラであるアキと姫野が合流するのだが、それが以下。

アキチーム
・アキ(リーダー)
・デンジ(部下)←主人公
・パワー(部下)

姫野チーム
・姫野(リーダー)
・荒井(部下)
・コベニ(部下)


2巻は基本的にこのメンバーで話が進行していくのだが、この構造が面白い。
チームリーダーと部下の関係性が、ジャンプ編集者とマンガ家に見えるのだ。
ご存知の通り、編集者は1人で複数のマンガ家を担当する。
担当は時にベテラン作家である時もあれば、持ち込み原稿を読み「キミ才能あるね! ウチで一緒にやってかない?」と見初めた新人の場合もある。
(※基本的に持ち込みの電話に応対した編集者がその作家の担当となる。ジャンプ以外でも大体はそうらしい)

で、この2巻だ。
2巻でこんな感じのやりとりがある。

姫「アキくんのとこの新人はどう? 強い?」
ア「こいつは強いなと思ったヤツもそうでないヤツも 1年もあれば死ぬか民間に行きます」

字面の通り見ればこれはシンプルに、デビルハンターという職業の過酷さを表す文言となる。
だが、ここに編集者とマンガ家という視点を加えるとどうなるか。
それはこうだ。

姫「アキくんのとこの新人(作家)はどう?」
ア「こいつは上手いなと思ったヤツもそうでないヤツも 1年もあれば死ぬ(引退)か民間(同人)に行きます」

あるいはこうか。

ア「こいつは上手いなと思ったヤツもそうでないヤツも 1年もあれば死ぬ(枯れる)か民間(月刊)に行きます」

それともこう?

ア「こいつは上手いなと思ったヤツもそうでないヤツも 1年もあれば死ぬ(字面通り死ぬ)か民間(同人)に行きます」

あるいはここにはない別の解釈の仕方もあるだろう。
ただ、今あげた例に絞って話をするのであれば、このシーンは「マンガ家という職業がいかに過酷か」を語ったシーンとも取れる。

作者の藤本タツキはインタビューで「ストーリーやキャラクターに対して愛着を持たない」ことを語っている。
それは確かに読んでいて感じる。
なんか鳴り物入りで出てきたキャラとかいきなり死ぬしな。

とはいえ、モチーフ単位ではその限りではない。
エンドレスエイトオマージュ(藤本タツキはアマチュア時代、「長門は俺」と名乗っていた。当時「長門俺の嫁」と口走るオタクは多かったが、「長門そのものになりたい」というのは珍しい気がする。この「愛する者と一体になりたい」という願望は後にチェンソーマン第1部最終回にてラスボスを出し抜く秘策に昇華する)
やさまざまな映画パロディなど、自分の思い入れのあるモノを積極的に取り入れている。

本人が自覚した上でのことか、それとも無意識のことかは分からない。
ただ、アキと姫野の立ち位置を編集者と捉えるのはそこまで的外れではないように思える。

他にも書きたいことはあるが、長くなりそうなので今日はこの辺で切っておこう。


あ〜あ〜〜
ホントはな〜〜
プラチナエンドバクマン。から見る大場つぐみの女性観」とか語りたかったのにな〜〜

バクマン。劇中作のЯeversiから読み解く大場つぐみのマンガ観」とか語りたかったのにな〜〜

「一連の大場つぐみ作品においてなぜ大場つぐみは同じテーマを反復し続けるのか?」とか語りたかったのにな〜〜

ああ〜〜あ! 残念だなぁ〜〜〜マジでほんとによ〜〜!




















大場つぐみ「……」





うぐぅっっっ???????
ふぎっぐっ
ぐっ ぶっ ぶっ ぼっ……




なめ「……」
母「なめ〜ご飯よ〜」
母「……なめ?」
なめ「……」
母「……! こ……こいつ」
母「……死んでいる……!」




一八八九年 2月7日
なめサン・ジョースター
死亡

ブックオフの値札をきれいに剥がす方法

https://www.bookoff.co.jp/brand/arujan/より

 おひさしぶりです。

ワクチン接種による副反応で寝込んでおりました。

38度台の熱が出ましたが、徹夜でYouTubeを見たり、目の奥が痛くなってもYouTubeを見たり、頭がズキズキしてもYouTubeを見たりなどですっかり良くなりました。

 今回の内容はBOOKOFFの値札をきれいに剥がす方法についてです。

先に結論から言ってしまうと

「アルコールを染み込ませた布などで値札を濡らし、1分ほど乾かしてから取る」と簡単に剥がれるようです。

な……なんだってーーーーーー!!

まさか公式がこんな良い動画を出しているとは思いませんでした。

さすがブックオフ! 一生ついていきます!

(てかこんな動画出すってことはブックオフ自身も「俺たちの値札って剥がれにくくてウザイよね……」っていうのを自覚してるってことですよね? 普通に社内努力しろやボケェ!!!)

かくいう私もブックオフはよく利用します。

特に新品で買うほどではないけど一応目を通しておきたいみたいな本はそうですね。

おかげで今やブックオフ特有の臭い本に塗れた生活をしています。

あの不快というほど不快ではないが間違いなく良い匂いではないという独特の臭い。

もう嗅ぎすぎて若干好きになってきています。

とはいえ、「あの臭いのせいでブックオフを利用してないんだよね……」という方もいることでしょう。

でもそれは仕方ないですよね。

そんなのどうしようもない。

臭いなんてどうしようも……

http://pro.bookoffonline.co.jp/book-enjoy/use-book/20150918-old-books-deodorization.html

【保存版】身近なアレで消せる!本の臭いを消す方法

な……なんだってーーーーーー!!

まさか公式がこんな良い記事を出しているとは思いませんでした。

さすがブックオフ! 一生ついていきます!

(てかこんな記事出すってことはブックオフ自身も「俺たちの本って臭いよね……」っていうのを自覚してるってことですよね? 普通に社内努力しろやボケェ!!!)

とはいえ、ブックオフって何気に高いんですよね。

そりゃネット(Amazonなど。メルカリと比べるのは流石に酷すぎるので)で買うより安いこともありますが、大方ネットの方が安いし。

いくらブックオフでも値段の問題は仕方ないですよね。

お金のことはどうしようも……

おい

なんか言えよ

!!!!!