年末年始エロゲをやってて思った事「エロゲ的想像力の達成と限界」

デスクトップでPCゲームをする手元の写真

こんにちは。

なめです。

喪中の人もいるだろうと思うのでおめでとうは言いませんが、今年もよろしく願いします。

今回は年末年始に大掃除も初詣もせずにエロゲをやり続けました。

おかげで年が明けた実感がありませんが、記事のネタは掴めました。

今回はエロゲについて思った事、考えたことを書いていきます。

目次

エロゲとは?

エロゲにおける作劇上のアドバンテージ

エロゲの構造的欠陥

エロゲの役割=傷つけられた自尊心の修復

エロゲ=学生時代のやり直し

結論

エロゲとは?

まず「エロゲとは何か?」という話からスタートすべきでしょう。

エロゲとは、「R18ゲームの下位カテゴリ」です。

「三角形」という大きなジャンルの中に「正三角形」や「二等辺三角形」という小さなジャンルがあるのと同じです。

R18 ゲーム(18禁ゲーム)には、主にエロとグロの2種類が存在します。

いわゆる美少女ゲームと呼ばれるエロい系とCODやBFなどといったグロい系に別れます。

エロゲとはその二つのうち、どちらかと言えばエロに傾いたジャンルである……という事にしておいてください。ここでは。

(どこかで妥協しないとこの線引きだけで日が暮れる)

まあ、乱暴な言い方をしてしまえば、エロゲとは「エロいゲーム」です。

エロゲにおける作劇上のアドバンテージ

エロゲというモノは「エロいゲーム」であると申し上げました。

が、ただエロいだけのゲームなら、ここまでの発展はしなかったでしょう。

今でこそエロゲ業界は斜陽の影……どころか真っ暗闇の帳に包まれた世界です。

しかし、かつては隆盛を極めた時期もあります。

0年代なんかが正しくそれではないでしょうか。

(↑どんな作品があったのか?については、この方の記事にまとめられています)

あの頃のアニメを見てみると分かりますが、圧倒的にエロゲ原作アニメが多い。

それは業界の持つ力(というか業界の抱えるファンの力?)が相対的に大きかったというのもあると思います。

が、結局の所は、アニメ化に耐えうる魅力を持った作品が多かったということでしょう。

実際、当時放送された作品の中にも、時代の淘汰をしのいでいる作品が数多く存在しますし。

では、なぜエロゲはそれほど魅力のある作品を生み出すことが出来たのでしょうか。

それはいくつか理由があると思います。

が、その中でも無視できない要素が「年齢制限」でしょう。

エロゲは主人公とヒロインの性交渉(Hシーン)が存在するので、当然のこと年齢制限がかかります。

しかし、年齢制限がかかるのはエロだけではありません。

グロにもまた、年齢制限はつきものです。

それ故に、エロを目的としないエロゲ(ものすごく矛盾をはらんだ言い回しですが……)には、しばしばグロ描写が取り入れられます。

バイオレンスかつショッキングなシーンを差し込むことが出来るので、描写できる要素の幅が広がり、同時に深みも増します。

これにより、物語の厚みや重みを増やすことが出来るのです。

そういう背景もあってか、評価の高いエロゲでは、エロよりもグロの方が多いモノもあったり……。

本来、「エロいから子どもはダメ」というニュアンスだったはずの年齢制限を「18歳未満はやらないってことはグロやっても良いよね?」ととらえ、逆手に取ったワケですね。

これにより、普通の全年齢向け作品では難しいテーマを扱うことが出来、重厚な物語を可能にしました。

やり過ぎるとお客さんは引いてしまいますが、見事なモノを見せつけられれば大衆の支持を得られます。

この辺を一番上手くやったのがFateでしょう。

FG〇とかがお好きな方々は忘れがちですが、Fateも元々エロゲですからね。

セイバーと士郎は

ガッツリセックス

してますし。

凜と士郎も

しっかりセックス

してますし。

桜に至っては、

養子に出された先で

レイプされまくってますし。

そういうエグいモノでも、上手いこと立ち回れば売れると考えると、なかなか夢がありますね(まぁFateがここまで大きくなったのは間違いなくzeroとFG〇による所でしょうが)

このようなエロゲの流れは「エロゲは18禁=子どもは買えない=グロをやっても良い」

そして「対象年齢の枷を完全に無視して作劇した場合、とても『濃い』物語を生み出すことが出来る」という気づきをもたらしました。

この気づきのおかげで多くの名作が生み出され、日本のサブカル界は成長したといっても過言ではないでしょう。

これこそが、エロゲによってもたらされた達成。

エロゲというメディアの到達点です。

(※あとは日活ロマンポルノ的な「セックスシーンがあればあとは何やっても良い」みたいなアドバンテージもあっただろうなと感じます)

追記

あと重大なことを書き忘れていました。

エロゲの達成には「ループモノ」「パラレルワールドモノ」の開拓もあったと思います。

YUNOなどに代表されるこのようなギミックは、特に0年代エロゲとは等式で結べる関係にあるのではないでしょうか。

エロゲというのは、いくつものルート分岐が存在します。

そしてプレイヤーはその分岐点でセーブをし、Aという結末を見たらセーブポイントに戻ってBという結末を見る、みたいなことをします。

つまり、エロゲプレイヤーは「何度も同じ物語を反復」し、「前回見たのとは別の可能性を見る」という行為を行います。

これは思いっきり、ループであり、パラレルワールドです。

この流れをくみ取り、かつうまくまとめたのがまどマギです。

エロゲによる開拓がなければ まどマギも存在し得なかったと考えると、感慨深いものがあります。

「ループとかパラレルワールドってエロゲとメチャクチャ相性良いじゃん!」という気づきもまた、90年代0年代に得られた大きな知見でしょう。

エロゲの構造的欠陥

以上がエロゲにおける光の側面です。

しかし、これを手放しで喜べないような側面……言うなれば闇の側面も存在します。

エロゲの役割=傷つけられた自尊心の修復

エロゲがただの「エロくてグロいハイソな話」であったならば、現代の教養になっていたかも知れません。

21世紀の文学とか言われてもてはやされた可能性すらあります。

が、現実はそうならなかった。

そこには、「エロゲが担っている社会的な役割」が関係していると私は考えています。

その社会的な役割とは、「壊れた自尊心(≒自己肯定感)の修復&獲得」です。

エロゲのメイン客とはどういう人物でしょうか?

それは学校生活で輝いていた人たちでしょうか?

部活動で結果を出して、校内の人気者だった人?

体育祭で活躍して、クラスの顔になった人?

勉強でまわりから一目置かれた人?

レンガの壁に寄りかかる青年の写真
(↑エロゲユーザー?)

おそらくそのどれでもないでしょう。

人と関わるのが苦手で、運動は出来ず、かといって勉強も出来ない。

人と喋るのが下手で、特に異性相手には目を見て話すことも出来ない。

エロゲを手に取るのはそういう類いの人間です。

そういう人間だ!

この私は!!

ゲームをしながら爆笑する男性の写真
(↑エロゲユーザー!)

つまり、エロゲを好んで手にとるような人間は多かれ少なかれ、私のように学校生活を謳歌できなかった隠キャである率が高い。

そして日本の学校というシステムは、陰キャに優しくありません。

男として認識されていなかったり、あるいはそもそも存在していることを認知されなかったりで、徹底的に自尊心を破壊されて育ちます。

これは女性の場合も同じです。

陰で悪口を言われたり、無視されたりなど、決して良い思いはしない境遇を強いられる事もままあるのです。

かくして男も女も、クラスの中心部にたどり着けない者は自尊心をズタズタにされた状態の仕上がりになる。

(※個人的な体験に基づく憶測です)

そして、エロゲを手に取るのは、そのような自尊心の揺らいだ人間。

それは、メーカー側も分かっていること。

だからこそ、メーカーはそういう人に向けた物語を作ろうとします。

その結果どうなるか。

当然、彼らの「果たせなかった願望」をかなえるようなモノになるでしょう。

エロゲ=学生時代のやり直し

エロゲはその多くが学園モノの要素をまとっています。

これは、エロゲユーザーの「学生時代に対する未練」に対してアプローチするためと考えられます。

それは、エロゲが果たす役割が「男性性の修復」にあるからです。

その根拠と取れる要素をいくつか上げると、

  1. 都合のよすぎる展開=ラノベ的作劇
  2. 特に何の理由もなく惚れるヒロイン
  3. ライバルのいない空間

などがあります。

そしてこれらには、独特の臭みがあります。

それらについて少し掘り下げましょう。

まず1のご都合主義展開。

著しくリアリティが欠けていたり、整合性がとれていなかったりといった展開です。

個人的に、これは後のラノベ的展開につながっていると考えています。

ラノベ的想像力は明らかにエロゲ的想像力と地続きに見えるからです。

作品の構成要素はほとんど同じで、あるのはエロ周辺の生臭い部分が入るか入らないかの差であるように思えます。

故に、エロゲについて考えるとき、参照する資料としてラノベを掲げることが出来ます。

それを踏まえた上で……

あなたは俺ガイルをご存じでしょうか?

ソニックブームのあの人ではなく、「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」というラノベタイトルの略称です。

内容としては、性根のねじ曲がってるけど誠実な主人公が送る学園生活、みたいな感じです。

私は高校時代、この作品を好んで読んでいました。

しかし、後半から……特に文化祭以降は読むのを止めてしまいました。

その理由は簡単で、「矮小な問題をさも大事のように語るのが辛くて辛くてしょうがなくなったから」です。

詳しくは本編を見ていただきたいのですが、「文化祭にそこまで命かける?」と思うほど(理由があるとは言え)文化祭を頑張ってたり、ただただ女に手を出さないように気をつけているというだけのこと(無論それだけではないんですが)を「理性の化け物」と表現してしまったりというちょっとアレな展開が続きます。

私の場合はですが、こういう展開を見ていると頭をかきむしって自殺したくなるくらい恥ずかしくなります。

なぜなら、このような「自分に降りかかる問題は全て大事で世界にとっても重要な事項なんだ」という無根拠で幼い精神構造をかつて私も持っていたからです。

つまり、自分の恥ずかしい所を見せつけられているような気分になるのです。

しかし、私がそう感じるのは、心の傷が十分に癒えて、過去を冷静に振り返る余裕が生じたからでしょう。

私にとっては過ぎ去った思い出ですが、今もなお痛みが継続している人にとっては目の前に差し迫った問題です。

なので、エロゲ的な文脈において、前述したようなストーリーテリングは正しい展開なのですが……

やはり恥ずかしいモノは恥ずかしい。

それだけでも恥ずかしいのに、主人公が直面した問題に対処する手段が整合性やリアリティを無視したものであったり、非常に楽観的だったりすると、恥ずかしさは倍増です。

なんというか、童貞の妄想を具現化された気がして辛い。

「お前が思い描いている妄想はこういうことだぞ?」と露悪的に見せられているようにも思えます(まさかそれが狙いか?)。

このあたりの具体例はゼロ年代10年代のラノベを見れば事欠かないので、ブックオフなどで適当に手に取ってみてください。

あるいはアニメ化されたモノを見るとかで

続いて2ですが、特に何の理由もなく惚れるヒロイン問題です。

エロゲやラノベには数々のヒロインが登場しますが、基本的にこれらの人物は主人公に惚れます。

そしてしばしばハーレム的な展開を迎えることが少なくありません。

これまでに散々語ったように、エロゲの社会的役割が「学生時代のやり直し(≒自尊心の回復)」であるならば、これは傷つけられた男性的魅力の穴埋めと取れます。

「リアルでは非モテ陰キャだけど、本当の俺は女にモテモテなんだぜ!」という気分をゲームの中で味わうことで、実際の精神状態とバランスを取っていると考えられます。

現実の恋愛は、基本的に女性側が最終決定権を持っている(付き合う合わないの決定権は往々にして女性側が所有)ので、エロゲはそれを反転させているのでしょう。

これについてはまあ何とも思いませんが、とはいえやはりやり過ぎると薄ら寒いモノになるのは間違いないです。

そして、3のライバルのいない空間ですが、これは単純に「ヒロインの性的対象が主人公しかいない」ということです。

この手の物語では、女たらしで女好きの悪友キャラみたいな存在が頻出しますが、彼は様々な理由でヒロインの性的対象になりません。

つまり、ヒロインがその悪友に取られるという心配をすることなく、安全な環境で恋愛にふけることが出来る。

しかも、その悪友キャラが「くっそ~。〇〇(ヒロインの名前)は俺に全然なびかなかったぜ。よほどお前のことが好きなんだな」とか言わせれば、「自分はこんな男としての魅力に満ちた人間を押しのけてヒロインに愛されたんだ!」という仮初めの達成感を得ることも出来ます。

2と3はセットで機能しています。

リアルで恋愛経験を持てず、仮想にそれを求める人を受け入れる土壌がここで作られます。

これは一種のセーフティーネットとして働き、犯罪の抑止などにも一役買っているのは間違いありません。

が、その反面、この「世の女性はみんな自分に好意を向けてくれて、悪友も女たらし的なポーズは見せつつも、横から数めとったりはしない」というエロゲ的な世界観を真に受けてしまうと世の中に対する是宇暴がより大きなモノになる可能性は否定できません。

それが行きすぎるとミソジニー女性嫌悪)に結びつく事も考えられます。

以上のように、エロゲ的な作劇にはいくつかの構造的欠陥があります。

そう。構造的欠陥です。

これらの問題は、エロゲがエロゲである以上避けがたい問題なのです。

商売である以上は売り上げがなければなりません。

そして売り上げを出すには狩ってもらうしかないのですが、そもそもお客さんが少ないのだから、確実に買ってもらえるような形にしなくては成らない。

エロゲがエロゲである限り、この呪縛からは逃れられないのではないでしょうか。

結論

エロゲとは心の修繕である

→エロゲがおった社会的な立ち位置は「男性の自尊心の修復&獲得」

それに特化した構造になっている

年齢制限の重力に縛られた

→年齢制限に甘んじることで物語の厚みを出したが、それによって年齢制限になるようなことをしなければ成らないという制約を負った

エロゲにはマイナスを0にする力があります。

学生時代に負った傷を癒やし、ダメージを帳消しにする力です。

しかし、一方で0をプラスにする力はありません。

電子上のヒロインを何人攻略したところで、実際の恋愛を経験したことにはなりませんからね。

とはいえ、再三言っているように、エロゲが担う役割はそこにはありません。

客側もそんなものは求めていないでしょうから、それでいいのではないかと思います。

そんなワケで今回はこの辺で。

では。